「ミーハー」を、yahooの辞書で調べると、「[名・形動]《「みいちゃんはあちゃん」の略。ふつう「ミーハー」と書く》軽薄な、また、流行に左右されやすいこと。また、その人や、そのさま。「―な発想」「―向けの商品」」とあります。しかし、「ミーちゃん」は、女性の好物の「あんみつ」のことであり、「ハーちゃん」は、女性に圧倒的な人気のあった「林長二郎」、後の長谷川一夫のことだそうです。随分な人気だったそうで、父よりも二歳上でした。 普通の男性なのですが、作り上げられた「憧れのスター」は、いつの世にもいるようです。
自分にも、自分の配偶者にもできないようなことを、銀幕やテレビの中で代わって演じてくれる「俳優」や「歌手」さらには「スポーツ選手」に、とくに女性は血道を上げるのでしょうか。以前、大挙して「韓流ドラマ」の俳優を訪ねて旅行のツアーが行われていたことがあったのですが、「アレ!アレ!」と言った思いで眺めていました。平凡な家事に明け暮れている主婦の心の中が見えてきそうでした。裏返すと、夫と違って美男子で仕草も洗練されている姿を、スクリーンやテレビの中に眺めて、ついている「ため息」が聞こえてきそうでした。
そういえば男性も同じです。級友に「高倉健フアン」がいて、彼に誘われて、新宿だったでしょうか、映画館に連れて行かれたことがありました。昔の剣劇、時代劇の昭和バージョンと言えるのでしょうか、「アウトローの世界」の活劇でした。チョンマゲををつけていない時代劇です。二十歳前後の私たちと同世代、おじさんたちも大勢いたでしょうか、男のムンムンとした息が溢れている映画館でした。普通に生きている学生やサラリーマンにとっては、足を踏み入れられない任侠の別世界だから、そこに距離があるからこそ、日常性を超えた世界を求めているのだと思わされたのです。映画がはねて、ゾロゾロと出てくる男たちは、みんな「健さん」でした。「出来得ないことの代役」を俳優が演じてくれるので、いつの時代もスターが消えては出てくるのです。
「娯楽」は、yahooの辞書に、「[名](スル)仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。「―施設一つない山間の地」「―映画」「装飾は人の心目を―し」〈逍遥・小説神髄〉」とあります。昔は、踊ったり歌ったり、または人の踊りや歌うのを見聞きすることが、明日の平凡な生活を生かして行く力だったのでしょうか。年中行事の「正月」や「桃の節句」や「夏祭り」や「秋祭り」などは、庶民にとって待ち遠しかったのです。日常性に大きな変化をもたらしたからでしょう。ところが現代では、「もうすぐお正月だ!」と言った待望感がなくなってしまい、毎日が娯楽している時代です。好いのか悪いのか・・・・。
息子さんのことでインタビュウーを受けていた有名人の顔が、「普通の人の顔」だったのを見て、テレビの中の顔が、「営業用の顔」だったことを知らされて、今更という感がしました。有名人も日常は「普通の人」なのです。でも、同じ顔で、何時でも生きていける幸せもあるのだと気付かされた秋でもあります。
(写真は、私の好物「あんみつ」です)