年の瀬に思う(7)

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昨日、窓辺で書き物をしながら、ふとベランダに目をやりますと、雀が三匹遊んで(?)いました。いえ食べ物を探していて、わが家に寄って、一休みしていたのでしょうか。人の気配を感じたのでしょうか、しばらくして飛び去って行きました。

我と来て遊べや親のない雀

雀を見て、遊んでるのか食べ物を求めているのか、そんなことしか想像できない私に比べて、一茶は、親鳥からはぐれてしまった子スズメの孤独を感じ取っていたのです。自然観察の目は、驚くほどに鋭かった俳諧師だったのです。

雀の子そこのけそこのけお馬が通る

棒を持って追い掛けいる悪戯小僧から、『馬に蹴られて死んじまえ!』 と、罵り言葉を浴びせかけられていたのでしょう。そんな雀に、『さあ、お馬がくるよ。危ないからおどき!』と言葉をかける一茶の優しい心に、ほっとさせられてしまいます。

おとろへや榾(ほた)折りかねる膝頭

「榾折り」と言うのは、お風呂をたくのでしょうか、竈(かまど)にくべるのでしょうか、薪を膝で二つに折ることだそうです。若い時のように、そうしてみるのですが、年老いてしまった今は、『ああ、わしも衰えてしまった!』と嘆息している一茶の顔が見えるようです。先日、ちょっと高いところから飛び降りてみたのですが、膝がガクンとしてしまいました。『こんなことなかったのに!』と思ったことですが、何時までも若いと思っていてはいけないのでしょう。

ともかくもあなたまかせの年の暮(くれ)

当時も、年の瀬には、誰もが追いかけられているように感じ、『し残したことがないか?』とか、『新しい年をどう迎えるか?』と言った思いをしていたのでしょう。ところが、この一茶には「人任せ」な年末を過すごす、ゆとりと落ち着きを感じていたのかも知れません。貧しさが彼を、決して卑屈にはしていなかったようです。命の保持者に、すべてを任せて、新しい年を迎えることにしましょう。

(写真は、「雀(ウイキペディア)」です)

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