あの表情、あの一言

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「雅仁、皮肉を言ってはいけない!」と、注意されたことがありました。もう35年以上も前のことになります。私の師の友人で、熊本で事業を展開しておられ、数年前に帰米されていたアメリカ人実業家にでした。久しぶりに彼が訪ねてきて談笑をしていたところに、一人の独身のご婦人が来たのです。この方は、昼頃まで寝ていて、夕方我が家にきては、よく食事をしていました。食後も、10時過ぎまで我が家にいて、取り留めのない話を家内にしていました。家内は、早朝にヤクルトの配達や、日中は訪ねてくる人の相談に乗ったりし、何よりも4人の子育て中でした。私たちも、「そろそろ時間だから帰ってください!」と、なかなか言えなかったのがいけなかったのですが、そう言ったことがたびたびあったのです。極めて迷惑な訪問客だったのです。

彼女は、東京にいた頃からの家内の知り合いで、私の師を慕って引っ越してきたのです。私たちが紹介した幼稚園で、週に数日のアルバイトの英語教師をしていました。その彼女に、私が皮肉めいたことを言ったのです。どう表現したのか、はっきりと覚えていませんが、彼女の生活ぶりを、上手に皮肉ったわけです。それを聞いていたロックさんが、「皮肉を言ってはいけない!」と言ったのです。私の皮肉を理解できるほどの日本語力を持っていなかったのに、「雰囲気」で分かったようです。私は、決して「皮肉屋」ではありませんでした。遠まわしで言うよりは、直接はっきりと言って生きていたからです。よほど、彼女の我が家での長逗留が腹に据えかねていたので、つい皮肉が飛び出した様です。

しかし、そのロックさんの注意は、私への決定的な「叱責のことば」になったのです。それ以来、「決して皮肉めいたことを言わない!」と決心させ、今日まで、一度も言わないで生きてくることができたのです。今でも感謝を忘れないでおります。その後、彼女は縁あってアメリカ人と結婚をされ、一人の男の子をもうけたのです。だいぶ経ってからですが、「離婚された!」と風の噂で聞きました。

このことを思いだ出したのは、私の師も、その友人たちも、みなさんが「天の故郷」に帰って行かれて、もう「叱ってくれる人」、「忠告してくれる人」が、訪ねて来てくれなくなってしまったからです。荒削りで未熟、短気で喧嘩っ早く、野生種の駄馬の様な私に、やって来ては、交わりの手を差し延べ、「人の生きる道」を教えてくれ、優しく諭してくれた方たちでした。自分を矯正し、行くべき道を指し示してくれたこと、それを素直に聞き入れられた、あの時期は、最も充実し、有益な時だったことを思い出すのです。

「秋分の日」が過ぎ、暑さの中にも、「人恋しく思う秋」がやって来たからなのでしょうか。あの一瞬、あの場面、あの表情、あの一言が感じられるほどの「秋」であります。

(写真は、インディアナ州の州の花の「ボタン」です)

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