「人命尊重の精神」

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 新聞社の懸賞小説に当選した「氷点」の作者、三浦綾子は、戦争中に教師をしていました。高等女学校を卒業し、17歳で小学校の教師となったのです。幼い子どもたちに、天皇中心の軍国教育を命がけで教え、何人もの子どもたちを戦場に駆り立て、死なせた過去を持っていました。戦後、それを心から悔いて、教師を辞しました。軍国教育とは、裏返すと、自国を愛するばかりに、「敵を憎む教育」だったのです。彼女は、「戦争責任」を強烈に感じたわけです。戦時下の軍国主義教育は、有無を言わせないものでした。「天皇の赤子」とまで言われて、国のため、天皇のために殉ずることを、奨励したのです。それで純真無垢な少年たちが、「少年兵」として戦争に従いました。

 私の母の故郷に、親戚のようにして、お付き合いをしてきた一人の方がいます。彼もまた、十代(15歳以上17歳未満)で「予科練(海軍飛行予科練習生)」として従軍し、生還したのです。戦後、父の仕事の手伝いをしていました。幼なく我儘な私は、この方に、『大きな迷惑をかけたんだぞ!』と、父に話されたことがあります。穏やかな目の方だった記憶がうっすらと残っており、今も母の故郷で健在です。こういった「涼しい目」をした青年や少年たちを戦場に送り、死なせたのだと思うと、なんとも言えない悲しみを感じてなりません。「軍隊」とか「国防」とか「聖戦」とは、そういったことなのでしょうか。世界中の青年たちが、母国のために戦い、死んだのです。その死が、平和をもたらしたのでしょうか。そうだとすると、これもまた悲しい歴史であります。

 神風攻撃隊で生き残った方が、こう言っていました。『「彼らの死は犬死だった!」という人がいる。私は「犬死」だとは思っていない。戦友たちは、国を思い、家族を思って戦い、それで死んでいったのです。彼らの「死」が、戦後の平和をもたらしたのだと考えたい!』とです。これは、重い言葉ではないでしょうか。ある医者が、『しなければならない手術があります。好くなる見込みがないのに、メスをとらなければならないのです。外科医とはこういった仕事なのかも知れません!』と言っていました。では、『しなければならない戦争がある!』のでしょうか。「人一人の命」よりも、国家や民族の「面子」が大切なのでしょうか。

 そういえば、現代でも内戦の続く中近東やアフリカには、この「少年兵」がいます。父親を亡くした子どもが、父親の敵討ちで、銃を取ると言った話を聞いたことがあります。私たちの社会には、「人身御供」とか「人柱」とか言って、「生命軽視」の歴史があります。多くの古代国家には、「名君」の埋葬のために、生きた人間が死んだ王の「鎮魂」のために共に葬られるということがなされていました。こういったことを是とすると、国民が王のために死ぬことが「当然」にされるのです。これらとは反対に、私はアメリカ人実業家から、「人の命」の重さを学ばされたのです。「人命尊重の精神」でした。日本の伝統的な教えにだけ学んでいたら、きっと今も「戦争肯定論者」だったことでしょう。変えられたのです。教育の「力」や「影響力」は甚大です。

 韓国の昨今の「反日」は、異常です。小学生の子供が日本人を見て、『ナップンサラム(悪い人)!』と言います。ソウルの公園で遊んでいた日本人の子どもに、韓国人の子どもが、石を投げ付けます。『独島(竹島)は私たちのものです!』と、日本語で呼びかけるそうです。私は三度、ソウルを訪ねたことがありました。三十年ほど以前のことでしたが。この様なことは、一度たりともありませんでした。こんな幼気(いたいけ)のない子どもたちでさえ、「憎しみを教え込む教育」がなされていることは、悲しくてなりません。ただただ、好い関係が回復されることを願うばかりです。

(写真は、敬礼する「海軍飛行予科練習生」です)

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