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テレビの番組で、ある商社の重役になった、実在の人物の半世紀を題材に描いた物語が、何度か制作され、放映されています。その番組名は「不毛地帯」で、山崎豊子の原作を、各局が、3度ほど制作してきているのです。
フジテレビが、開局50年を記念して、2009年に制作し、10月から、翌2010年の3月まで放映されたものを、とても注目して、観たのです。その放映時には、隣国にいましたので、観る機会がありませんでしたが、帰国時に、ネットで放映していたのを私は観たのです。
その物語の始まりの時期が、自分が生まれて数ヶ月頃の出来事であったため、戦時下に生まれながらも、戦争を直接知りませんでしたので、強い興味を持って観たのです。長期に及ぶ、シベリヤ抑留の過酷な体験を持ち、思いの内に、共に抑留され、シベリヤの酷寒の地で、命を落とした部下たちへの追慕の念を、常に持ち続けながら、戦後を生きた一人の人の物語です。
山崎豊子は、伊藤忠という関西の総合商社の役員をした、父と同世代人の瀬島龍三をモデルにして、脚色して描いたのです。フジテレビ版は、唐沢寿明が主演していました。実は、その番組で、一番興味深かったのが、この総合商社が、石油部門に進出したことの動機付けでした。
ドラマの主人公は、日本の旧陸軍の大本営の参謀であった壱岐正で、取締役に躍進していました。日本軍の陸軍士官学校の壱岐の後輩の石油部長の兵頭信一良とのやりとりが、興味津々でした。と言うのは、日米開戦の主なる理由は、oil line を断たれた日本が、東南アジアに石油を求めていくのですが、その輸送船を狙われて撃沈され、死活問題に立たされていました。
そんな中で、苦肉の一策で、真珠湾攻撃することに踏み切ったのです。もちろん自国を弁護するつもりはなく、「事実」を述べただけです。それが開戦の一番の理由だったようでした。そういった過去から、再び石油問題で、国際紛争に巻き込まれるのを防ぎたいために、イラン国営の油田、サルベスタンの石油採掘権を得て、試掘しようとするのです。
石油公団や他社とのやりとりに、ヤキモキされるのですが、ついに採掘権を得て、試掘を繰り返して、遂に、見事に原油が吹き出して、その開発事業は成功するのです。
日本の歴史の中に、Energie(エネルギー)に関わる大きな転換の時期が、何度もあったのです。日本は四海に囲まれる海洋国家であって、中世日本で、主に瀬戸内海で活動した村上水軍、徳川幕府の統治で、浅底の船しか持つことが許されなくなる以前、巨艦の軍用船である、鉄製の「安宅船(あたけぶね)」が使われていました。また、海洋進出をしてシャム(タイの旧国名)で活躍した山田長政がいました。海に囲まれ、資源に乏しい日本は、海外に活路を求めた、一つの事例なのです。
お隣の国の明代、1405年に、蘇州の港を出港した、中国昆明出身の鄭和(ていわ/Zheng He /1371-1433年)の大船団は、アフリカ東岸にまで出掛けています。何と131mもの巨船の大軍団だったようです。七次の航海をし、ヨーロッパの大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマや、アメリカ大陸を発見したクリストファー・コロンブスよりも、早い時期に航海をしています。もし、鎖国がなければ日本も、彼らに伍して世界に漕ぎ出ることができたのかも知れません。
今でも、固形燃料に限りがあり、それに代わるものがもとめられていますが、再生エネルギー、Clean Energieの必要が叫ばれています。そんな中で、注目したいのが、海に囲まれた日本での「風力発電」だと、風力発電の研究者の牛山泉氏(足利大学理事長)が言っておいでです。
木材(薪)、石炭、石油・ガス、そして原子力と変遷をたどってきたエネルギーが、地球を汚染し続けてきて、今は危機的な状況を迎えていて、遅きに失している対策の現状です。警告を無視し続けてきた、負の結果を迎えていますが、今できることがあると言われて、必死に対策が講じられているのです。
日本の歴史で、奈良から京都への遷都がなされた一つの理由は、燃料としての薪が奈良近辺に少なくなったからだそうです。また、徳川家康が開幕の折に、京でも鎌倉でもなく、関東の江戸に注目したのも、一つには燃料問題を克服しようとしたのだと言われます。そして、米英を相手に、日本が宣戦布告をしたのも、石油の入手に道を断たれたからであったわけです。
満州や朝鮮半島や台湾、さらに東南アジア侵略をしたのも、物資の乏しさの解消を目的としたわけです。とくに、エネルギー問題に、国の将来の存亡がかかっていると結論したからなのです。現代も同じです。遠い距離にある給油国から、もし、その輸送路が絶たれたら、私たちの国はどうしていったらよいのでしょうか。やはり、海に活路があるのかも知れません。それで海上の風力発電利用に期待したいのです。
(”Freepik” と “いらすとや“のイラストです)
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