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私には二人の父がいます。御子イエスさまが、『父!』とおっしゃった《神さま》です。《陶器師なる神》で、慈愛と忍耐に富まれる創造者です。この《父なる神》のいますことを教えてくれたのが母でした。その教えから逸れることなくなく、今日まで信じ、感謝し、愛して生きてくることができました。
もう一人は、母と共に、生んで育ててくれた父です。横須賀、満州、松江、出雲、京都、京城、山形、そして東京などで、過ごしたのが、父の61年の生涯でした。〈ほっぺほっぺよ〉とか〈高い高い〉とか〈鉄拳殴打躾〉とかしてくれ、丈夫に育ち、人様の迷惑にならないように生きていき、『何時迄もあると思うな親と金!!』との格言を与えられ、『父は父なるが故に、父として遇する!』を学ばせてくれた父です。
父が残した写真の中に、若い頃の父の写ったものがあり、日の丸の鉢巻をしめて、軍需産業に従事していた頃の戦勝を願った集合写真の中に、父が写ったものもあったのです。また終戦後の東京の街を歩く、黒いマスク姿の写真がありました。恰幅の良かった父が、げっそりと痩せていて、子育てのために一生懸命に働いていてくれた頃のものです。
自分の英雄の父が、ただの人であることを知ってがっかりした後、聖書から、感謝と敬意とを持つように教えられてから、父親観が変えられました。そして父への感謝や恩を、四人の子の父親となってから、さらに分かったのです。親孝行を考えていた矢先に、召されてしまいました。『ありがとう!』と、はっきりと言いたかったかな、の今です。
(「ある信徒」掲載のイラストとみことばです)
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