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明日は「立春」です。文化遺産の一つと言われるのが「二十四節気(にじゅうしせっき)」でしょうか。占いとか方位とは関係がなさそうで、中国大陸の黄河流域の一年間の気象や植生などをもとにしてでしょうか、春夏秋冬の四季の移りによって定められていて、たとえば「立春」と聞きますと、『あっ、春!』と思わず思われてしまうのですが、そうしますと、どうしても心の中がポカポカしてくるではありませんか。
この二十四侯は、それぞれが三区分されて「七十二侯」になっているのです。これからの2月4〜8日頃を「東風解凍(とうふうこおりをとく)」、2月9~13日頃を「黄鶯見睆(こうおうけんかんす)」、2月14~18日頃をl「魚氷上(うおこおりにのぼる)」と、三区分されています。この日曜日からは、東風(こち)が吹いてきて、結氷した氷を溶かし始める時を言っています。
春立ちて まだ九日の 野山かな 芭蕉
芭蕉は、どこを訪ねたのでしょうか、山を見渡して眺めていたのでしょう。まだ九日しか経っていないのに、野山の木々の芽や、枯れ草の中に新しい若芽が生い始めているのを見つけたのでしょうか。きっと、春というのは、感覚的なもので、先取りしたい思いが反映しているのかも知れません。それほど、寒い冬を超えてきたので、期待感が強いからでしょうか。
「暖冬予報」だったのが、実際は、厳冬だった今冬ですが、そういえば、もう陽の光は強くなり、空気は冷たく風は寒風が吹いていても、暖かさが感じられます。位置的には、ずいぶん違う大陸の黄河流域の気象による一年の区分なのですが、そう思わされ続けてきた遠い日本の現代人の私たちは、移り変わる気象を、同じように感じてしまうのでしょうか。大きな被害をもたらせた能登半島地震のあった元旦に比べて、1ヶ月経った今は、春が待ち遠しくて、明るく暖かな春に期待するのでしょう。
春立つや 山びこなごむ 峡つづき 飯田蛇笏
暦を見ると「立春」、昨日と今日はほとんど違いがないのですが、立春だと思うほどに、山側に立って、その山に向かって叫んでみると、山びこが返ってきたのです。その山まびこの響きも、何やら心が弾むような、和むような感じがしていたのでしょうか。
十七文字で、季節を謳う俳人のみなさんの感性には、驚かされ、日本語の素晴らしさを感じずにはおかれません。
春立つと 聞けば聞くほど 暖かく
1 春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
2 春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
蕾(つぼみ)もみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている
作詞が相馬御風、作曲が弘田龍太郎の「春よ来い」ほど、春待望を強く願った歌はありません。メロディーも春立つ感じにあふれているようです。
(ウイキペディアによる春に花「さくら」です)
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