間もなく年末です

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 「紅葉」の読み方ですが、<こうよう>ですが、“momiji”と入力すると<紅葉>と文字候補の中に出てきます。まさしく、「赤い花」ですが、どうしてこの漢字を、<もみじ>と読むのでしょうか。大言海という辞書に、『露や霜に揉み出(もみだ)されるから。』、そう呼ばれるのだとあるそうです。この様に、古代の日本人の造語能力には、恐れ入ります。日本で誕生した「大和言葉(倭語/やまとことば)には、興味が尽きません。

 季節の移ろいが、華南の街では、樹木の植生の変化によっては、感じることがなかなかできませんでした。ただ空気や水の冷ややかさによって感じたり、庭木の「椿」の花の開花で感じ取ることはできていたのです。名前は分からないのですが、木の花が、まだあちらこちらで咲いていましたが、もう間もなく12月になります。西洋暦の正月よりも、旧暦(農暦)の正月である「春節」を迎えることに、特別の思い入れを持つ、中国の人たちには、「年の瀬」の慌ただしさというのは感じられませんでした。

 この「春節」は、毎年、日にちが違うのに、まだ慣れなかったのを思い出します。「春節」を迎えたら、新しい服を着て、子どもたちは「お年玉」をもらったりする喜びがあるのでしょうが、やはり、「春の到来」を寿(ことほ)ぐ民族習慣と伝統は、二十一世紀になっても変わらない様です。

 私の文化的背景ですと、ケジメをつけて去っていく月と迎える年をはっきりするのでしょうか。迎える月は、忙(せわ)しなさや、差し迫った感じが満ちて、大人から子どもにまで、伝わってきて、過ぎていく「今年」を思い返して反省したり、新しく迎える「新年(正月に代表されるのでしょう)」を迎える準備をし、目標を立てていくのです。

 大晦日(おおみそか)を迎えるまで、母も様々な家事をしていました。障子やふすまの張替えや修復、特別に気の入った掃除、餅や正月料理の食材の購入、「おせち」作りなど、年末に入ると、繰り返していたのを思い出します。『醤油を買ってきて!』と言われて、家から跳び出して行ったこともありました。娘を持たなかった母でしたから、大変だったでしょうか。

 イタズラッ子で我が儘な割りには、幼い私は母を、よく手伝っていたのだそうです。母が、懐かしく小さな頃のことを感謝してくれたことがありました。どうして我が家では、正月にならないと、「お餅」を食べなかったのか、それ以外には食べた記憶がないのです。正月のお餅を、父の決めた寸法があって、その様に切った切れ端を、天日で乾かして、油で揚げて、醤油をジュとかけて、父が食べさせてくれたくらいでした。もっと普段にも、食べても良かったのに、それも父の家での習慣だったのでしょう。

 何だか、「師走(しわす)」が間近になっただけで、懐かしい年の瀬の息吹が押しかけて来そうです。と言うか「思い出」が蘇ってきているのでしょうか。

(冬に代表的な花「和水仙」です)

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