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一昨晩は、猛烈な雨で、巴波川が増水し、街が煙っていました。それでも去年の視界が5メートルもなさそうな強風と強雨の時には比べられませんでした。年々歳々、悪天の規模が増強しているのは確かです。雨には、次のような日本語があります。
春雨 雨脚は強くなくシトシトと降る雨でしょうか。
紅雨 こうう、花が咲く頃に咲く花に降りかかるように降る雨です。
緑雨 りょくう、新緑の頃の雨を言い雨が美しく感じられるようです。
麦雨 ばくう、むぎが実る頃の雨です。
五月雨 さみだれ、最上川を詠んだ芭蕉の句を思い出します。
梅雨 ばいう、洗濯物の乾かない雨です。
俄雨 にわかあめ、夕立のことでしょうか。
驟雨 しゅうう、強い俄雨を言います。
穀雨 こくう、麦や米や野菜が育つような恵みの雨のことです。
秋雨 しゅうう、夏が終わろうとした秋に梅雨に似たような長雨です。
黒雨 こくう、四日市公害などの煤煙を含んで黒くなって落ちる雨です。
白雨 はくう、明るい空からの俄雨を言うようです。
氷雨 ひょうう、みぞれや雪に変わろうとする冷たい雨のことです。
時雨 しぐれ、晩秋から初冬にかけて降ってすぐ止む雨を言います。
村雨 むらさめ、強くさっと降って止んでしまう雨です。
宿雨 しゅくう、長く降り続ける雨のことです。
涙雨 なみだあめ、涙のように少ししか降らない雨のことです。
この数年の、線状降水帯のもたらす雨は、古来の日本語では表現できない量や強さの雨が注目されています。瞬く間に道路が水没、陥没してしまうように降ります。最近の雨です。
暴雨、豪雨、爆雨、ゲリラ雨、激雨
鬼雨 きう、鬼が暴れているような猛烈な雨だそうです。
それとは違った雨もあります。
喜雨 きう、雨が降らないで乾いた畑に降ってくれる雨を言います。
天泣 てんきゅう、雲もないのに降る雨のことです。
袖笠雨 そでがさあめ、袖で凌げるような小雨を言います。
慈雨 じう、恵みの雨
甘雨 かんう、穀物や野菜を育てる雨を言います。
小糠雨 こぬかあめ、霧のような細かく糠のような雨です。
夕立 ゆうだち、一日に暑さや疲れを癒すような雨でした。
雷雨 らいう、大好きな雨です!
作詞が梅木三郎、作曲が佐々木俊一の「長崎物語」が、子どもの頃にラジオから流れていました。
1 赤い花なら曼珠沙華
阿蘭陀屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の ああ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る
2 うつす月影彩玻璃(いろガラス)
父は異国の人ゆえに
金の十字架心に抱けど
乙女盛りをああ曇り勝ち
ララ曇り勝ち
3 坂の長崎甃路(いしだたみ)
南京煙火(なんきんはなび)に日が暮れて
そぞろ恋しい出島の沖に
母の精霊(しょうろ)がああ流れ行く
ララ流れ行く
4 平戸離れて幾百里
つづる文さえつくものを
なぜに帰らぬじゃがたらお春
サンタ・クルスのああ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る
同級生のナガシマ君が、住んでいた家が「オランダ屋敷」だと言うので見に行ったのです。普通の家で、洋館などではなく、古い家で屋根も破れていたのです。それで雨漏りをすると言うので、この歌を文字って、そう呼んでいたのです。
小学校時代に住んでいたトタン屋根の、父の家も雨漏りがしていました。戦後の旧造りの売り屋を、父が急いで買ったのでしょう。雨漏りがしても懐かしい家です。中央道の建設地点になってしまい、わたしが、家を壊して土地を道路公団に渡しました。何度か、その家の前を取ったりしました。そう今でも、いつもニコニコしていた2歳上の同級生のナガシマ君が、雨が降ると気になります。
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