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わたしの生まれ故郷には、独特な「方言」がありました。そこで、のびのびと育ったのですが、子どもたちの教育のことを考えた父が、東京に住むことを決めて、南新宿に家を買おうとしました。ところが、これから思春期を迎えて行く息子たちに、歓楽街の近くに住むのは好くないということで、三多摩地区に家を買ったのです。
そこにも、「方言」がありました。神奈川県に近いからでしょうか、そこと同じような「方言」だったようです。札幌の病院に入院していて、同じ病室の方や、看護士さんや療法士のみなさんの話を聞いていますと、ここにも独特の北海道弁がありました。「語尾」に特徴があるのです。『しばれる』、『おおこわ』と言うのは有名ですから知っていたのですが。親しい人同士だと、語尾が砕けて話しています。
『俺、自動車の運転手してるんさー。』
『(奥さんに)今日市役所に行ってくれるんかい。』
『あの店の焼き鳥がうまいんだわ。』
『あのTシャツ、あの店で売ってるんだわ。』
『先週、留萌に行ってさ。』
『今日はなまら寒いんだわ(とても寒い)。』
こんなことを聞いていました。これだと、真似できそうで使ってみようかなとも思っていたのです。北海道は、アイヌのみなさんが原住民でして、金田一京助が、このアイヌ語の研究をされたようです。道民の多くの人たちは、日本の各地からの開拓者で、それぞれの地方の言葉を持って、やって来た人たちの子孫の北海道なのです。
札幌の隣に、「北広島市」がありますが、ここは中国地方の広島からの移住者が多くて、そう命名された街なのでしょう。入院中、入院中の同民に、『先祖は、どこの出身ですか?』と、何人もの人に聞くのですが、『さあ〜』と返事が返ってきます。もちろん転勤でやって来て、住み着いた人もいますし、様々なのでしょう。それまで北海道を舞台にした映画やテレビ劇で、主人公が使っていた<北海道弁>を、生(なま)で聞いていました。
旭川の近くで育った方が、二度ほど、カップラーメンを、『夜食で食べると、うまいんだわ!』と言ってくれたのです。この方は、開拓農民のお父さんとお母さんに育てられたと言っていました。『朝起きると、肩のあたりに雪が積もっていたさあ!』と言っていました。貧しく、極寒の中を生きてきた人の《逞しさ》が感じられて、同病、同痛、同不安の時を、2週間ほど一緒に過ごしたのです。
冬場は、雪かきをしないと、道路に出られず、その除雪の仕事をして、ソリやスキーの板を履いて学校に通ったのだそうです。同じ中を生きてきた人と話が合って、懐かしそうに過去を探るようにしておられ、それを側で聞いていたのです。そんな生活でありながら、小中と皆勤だったと、遠慮がちに言っていました。
ここ栃木の方言は、茨城や福島に近い関係で、それに似ているのです。元ボクサーで、世界チャンピオンだった、ガッツ石松が、俳優に転身して、東北弁風のイントネーションで話していたのを聞いていましたが、彼は東北人ではなく、ここ栃木県の出身なのです。それを聞き覚えていましたので、ラジオ体操仲間のみなさんの口調が、彼に同じなので納得したのです。
この広い関東平野の外れ、栃木県北部の鹿沼市(粟野村)が、ガッツ石松の出身地で、貧しい中で育ったからでしょうか、彼にも逞しさが感じられます。その語り口が、自分が育った東京都下の三多摩の街のものと、とても似ているので驚いたのです。
【参照】youtube「良い夢を見た男(栃木弁)」
そう「べえべえ言葉」で、『行くべえ』、『すんべえ』、『けえるべえ』って言ったのです。神奈川県の海老名あたりから、三多摩、群馬、栃木に連なって、そんな訛りがあるようです。山奥から越して来た時、級友たちの話すことばに驚きました。ちっとも東京らしくない、田舎弁だったからです。
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