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『翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。(創世記
2818節)』

 念願の「枕(まくら)」を買いました。母が用意してくれたのは、父のまくらには、「あずき(小豆)」が入っていたのですが、母も子どもたちも「そばがら(蕎麦殻)」でした。以前は、それが一般的だったのです。きっと父の育った家では、危急の時のために「食料」になる様に、平時にはまくらに、食料に窮した時のために、小豆が確保されていたのでしょう。昔の人の知恵ってすごいですね。

 去年の誕生日に、家内が  present に、有名寝具店の高級枕を贈ってくれました。上等過ぎて、中身の少ない自分の頭には合わなくて、結局、そうでない家内が使っているのです。自分は、家内のものを使っていたのですが、化学繊維のurethane 製は、どうも好きになれなかったのです。それで、子どもの頃に使っていた「そばがらまくら」を、スーパーの二階の衣料品店で見つけて買ってしまいました。850円だったのです。

 使い勝手がいいというのでしょうか、自分の頭に記憶があるのでしょうか、ピッタリ合っているのです。American size で大きなまくらが流行って、それが愛用されてきたのですが、小さな頭には持て余し気味で、しっくりしなかったのです。頭を動かす時のそばがらの動く音が耳に心地よいのです。イスラエル民族の族長の一人、ヤコブは石を枕にした、と聖書にありますから、それで熟睡できたのでしょうか、驚きです。

 華南にいた時に、ある方が、「ふんどし(褌)」をしていて、家内が、『洗濯しますから、洗うものを出してください!』と言ったら、下着と褌を出して、家内は笑いながら洗濯機にかけて、干していました。この方が帰ってから、贈り物を送ってくれた中に、そのふんどしが、わたし用にと、二本入っていたのです。もちろん新品でした。

 日本男子にはこれがいいのです。母に、サラシで作ってもらったことがありました。それは、「越中(えっちゅう)」と呼んだのですが、「六尺」というふんどしもあって、水泳をする時に、古来日本人は、水泳パンツの代わりに、これを使っていたのです。溺れた時に、解いて使ったり、溺れた人のふんどしを掴んで救助するのに良いからでした。

 六尺の長さで一本の晒(さらし)は、包帯にもなりますし、おぶい紐にもなったりで、実に重宝なのです。中学の臨海学校では、その「赤フン」をしめたのです。男子校でしたから、しめ方から始まって、懐かしい思い出です。あの少年たちも、年を重ねて、ひ孫を抱く様な年齢になっているのに、時間の過ぎゆく早さ、盛んな時の短さに、感じ入ってしまいます。

 住む家があり、寝る布団があり、頭を置く枕があって、静かに、平安に夜を過ごすことができて、なんと恵まれ、感謝なことでしょうか。ウクライナでは地下鉄のホームや階段で、戦火を避けて、夜を過ごしているのを聞きますと、申し訳ないような思いがしてきます。東京空襲で、防空壕にいた一瞬の光景に覚えがある、と家内がいいます。つくづくと枕を見てしまう朝な夕な、石ではなく、蕎麦殻枕でよかったと思うことしきりであります。

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