奈良県

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 いにしへの 奈良の都の 八重樱 けふ 九重に にほひぬるかな

 これは、伊勢大輔(いせのたいふ/大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の娘)が、『かつての奈良の栄華をしのばせる豪勢な八重桜だけど、今の帝の御世はさらにいっそう美しく咲き誇っているようだよ!』と花に託して、今の宮中の栄華ぶりをほめたたえた、〈大和朝廷讃歌〉です。

 今まさに、染井吉野の桜前線が、北海道にまで上がっていったと、ニュースが伝えていました。今春も散歩の途中で、子どもたちのいない小学校の校庭の脇に、実に綺麗に開花し、『ああ春だ!』と実感させられたのです。ときおり花びらが散り落ちて、咲く花も散る花も、春の趣がいっぱいに溢れていました。

 かつての日本の中心は、平安京・京都でしたが、それ以前には、飛鳥京、藤原京、平城京、長岡京など、今の奈良県が列島の要であったのです。中学校の遠足は、奈良と京都への旅でした。奈良公園では、鹿を追いかけたら、追いかけられて逃げるのが大変でした。東大寺の大仏の大きさには、度肝を抜かれたのです。

 母を産んだ実母が嫁いだお寺が、奈良公園の近くにあって、まだ元気だった母と兄弟たちとで訪ねたことがありました。大和郡山藩の菩提寺とかで、禅宗のお寺で、その敷地や建物の大きさに驚かされたのです。小学校の林間学校で、東京郊外のお寺に泊まって以来の宿泊を、その宿坊でさせてもらいました。自分たちの教会とは違って、お寺の豊かさには驚かされました。
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 やはり奈良は、「いにしへ」を感じさせられた時で、日本の原点なのだと再認識をしたのです。律令制下の「大和国」、国都に選ばれた地でした。その都から、日本統治がなされて、全国各地の統治が始まっています。ここ下野国にも国庁が置かれ、国分寺、国分尼寺がその近くに開かれ、その跡地が、「天平の丘」と名付けられて残されています。長い旅をして、大和朝廷の官吏たちが赴任し、京都に行き来をしたことでしょう。

 さて奈良県は、県都が奈良市、県花は奈良八重桜、県木は杉、県鳥はコマドリです。人口は131万人で、有力な豪族が「大和王権」を建て上げ、「大和朝廷」を起こして、「政(まつりごと)」を始め、その支配を確立していったのです。現在、高市郡明日香村が、県南にありますが、そこが「飛鳥朝廷」が置かれたと伝えられています。

 育った父の家では、よく「奈良漬」が食卓に並べられていました。母が好きだったのかも知れません。瓜(うり)を酒粕で漬け込んだもので、わたしの基督者の友人は、二切れ三切れ食べて、酔ってしまったことがありました。かつては、明日香や奈良の朝廷の上級官吏たちが食べたものだそうで、一般庶民が食べる様になったのは、いつの頃からでしょうか。そういえば奈良漬、食べたいですね。

 遣唐船で長安に留学して、帰国が叶えられなかった、阿倍仲麻呂は、故郷、奈良の都が恋しかったのではないでしょうか。若くして留学しましたから、家族と囲んだ食卓に、この奈良漬が並んでいたのかも知れません。長安にはなかったでしょうから、故郷の味覚も懐かしかったに違いなさそうです。

(春の奈良公園の桜と鹿です)

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