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 4000年も前に記された、聖書の記事を読んでいると、心の動きは、この21世紀を生きている私たちと、全く変わらないのが判ります。長く文字を持たなかった日本人は、言葉もなく、人と人とが意志の疎通を欠いていたかの様に錯覚してしまうほどで、何を考え、何を語っていたのかの無言だった様に思えてしまうのですが。

 その時代の人々の心の動きを知ることができないのは、実に残念で仕方がありません。日本人の思考や思想を、言葉で表現していたのに、文字化されてないので、空白の様に感じてしまうのです。人と人、男と女、大人と子どもの間に、隣人、村の指導者との間などに、様々な感情があって、意思の疎通や誤解があったに違いがないのですが、その記録がないわけです。お母さんは、自分の息子に何を言っていたのでしょうか。

 「箴言」を書き残したのは、ソロモンだったと言われていますが、そこにお母さんから受けた勧めを記録されています。

 『マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば。私の子よ、何を言おうか。私の胎の子よ、何を言おうか。私の誓願の子よ、何を言おうか。 あなたの力を女に費やすな。あなたの生き方を王たちを消し去る者にゆだねるな。 レムエルよ。酒を飲むことは王のすることではない。王のすることではない。「強い酒はどこだ」とは、君子の言うことではない。 酒を飲んで勅令を忘れ、すべて悩む者のさばきを曲げるといけないから。 強い酒は滅びようとしている者に与え、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えよ。 彼はそれを飲んで自分の貧しさを忘れ、自分の苦しみをもう思い出さないだろう。(箴言3117節)』

 当時も、多くの男たちを迷わせていた問題、同じ様に現代人をも誘惑してやまない女性問題、対アルコールの弊害など、わが子を思う母親の言葉を読んで、自分の母を思い出すのですが、わたも同じです。同じソロモンの箴言に、次の様にあります。

 『力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言423節)』

 一国を支配し、政(まつりごと)の責任を負わされた者は、とくに誘惑の機会が多いのかも知れません。お金、女性、名声、酒などは、いつも深い穴を広げて、誘い飲み込もうとしているのです。そして多くの人が、それになぎ倒され、それに飲み込まれてきた、それが人の歴史なのかも知れません。

 神の命令に従い、欲望を正しく制御し、人を愛したり、赦したり、激励したり、感謝したりして生きることが大切に違いありません。欲望に従うか、神の法(のり)に従うかで、人生は全く違ったものになります。欲望は、際限なく高まりますが、そうなればなるほど、深い穴の中に引きずり込まれてしまいます。神を畏れることによって、神に助けられて、その誘惑に勝てるのです。

 『わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。(箴言151617節)』

 わたしは、問題だらけ、欠点だらけでしたが、聖書に従うことを学んだのです。物によって築き上げられた家庭ではなく、心や精神で支えられる家庭を建設したかったのです。家族で質素な食卓を囲み、赦したり愛し合う団欒のある家庭が欲しかったのです。酒や異性で、家庭を壊さない様に願って生きてこれました。それが創造者の願われる一生や家庭であったわけです。

(“ Christian  clip art ” による「愛」です)

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