助言

 

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 『彼とともに育った若者たちは答えて言った。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くした。だから、あなたは、それを私たちの肩から、軽くしてください』と言ってあなたに申し出たこの民に、こう答えたらいいでしょう。あなたは彼らにこう言ってやりなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。(1列王1210節)』

 人は、だれでも初めての人生の出来事、事件、体験をしようとする時に、『どうしようか?』と迷います。それまで経験したことがない局面に立たされて、迷ったり、悩んだりしてしまいます。だれかからの「助言」を必要としています。その時に、大切なのは、『だれの助言に聞くか?』です。これほど、大切な問い掛けはありません。

 イスラエルの王家の後継者であったレハブエムは、父の時代の悪政を改めてほしいと陳情者たちがやって来て、税の軽減を願ったのです。どんな内容だったかが、記されてあります。

 『あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」(1列王124節)』

 その陳情を聞いた彼は、〈父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たち〉に聞きました。

『彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」(127節)』

 それは穏やかの忠告だったのです。この長老たちの進言に、彼は聞くべきでした。ところが、その長老たちの助言を退けて、〈彼とともに育ち、彼の仕えている若者たち〉の意見を聞き入れてしまったのです。彼が元々目論んでい多物に、若者たちは、〈ヨイショ〉をしただけでした。

 仕事柄、多くの人が相談にやって来られて、お聞きしたことがわたしたちにありました。ある人たちは、もう自分の思いの中では、どうするかを決めてしまっていて、その決定の確証でしょうか、承認、同意を得たくて来られるのです。その方たちの決定ではない、反対の助言を私がすると、怒り出して帰って行かれました。

 進学、就職、恋愛、結婚、誕生、家庭、金銭、生活、終活、葬儀などなど、いつも初めて直面する場面、また繰り返される問題が、人生には溢れています。「双六(すごろく)」が、一歩一歩、サイコロを振って進んでいく様に、〈上がり〉の時が迫っている今、《どう終えるか》が、喫緊の課題です。

 死に逝く人の手記などが多くありますが、「死後の命」のあることを信じている私は、ある面では不安解消されているのです。でもやがてやって来る、この新体験、未知の「死」について、どんなことなのだろうと思うことが多いのです。

 『主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。 (詩篇394節)』

 これはダビデのことばですが、まさにわたしのことばでもあります。〈生のはかなさ〉ですが、これを無視することはできません。「儚い」と漢字表記をしますが、ここにだけ思いを向けますと、「死」に圧倒されてしまうのが人です。だから、死の対にある「生」に思いを向ける様に、聖書は、《生きること》を多く語るのです。

 『まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ・・・主を求めて生きよ。(アモス546節)』

 これが聖書の勧め、助言、命令なのです。生かされている間、おのれの生を生きる責任を負っているのです。

 『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ316節)』

 人の「生」は、《永遠》に向かってのものであって、〈今生〉だけのものではないと、聖書は言うのです。人の齢(よわい)は70年、健やかであっても80年」で、その限られた年月を、ヨロk9んだり、悲しんだり、傷つけたり、傷ついたり、癒されたりの切り返しを過ごすのです。さあ、「真実な助言」に聞き従って、生きてまいりましょう。

(”キリスト教クリップアート“ のイラストです)

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