山歩き

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 戦国時代、関東一円の支配を競っていたのが、越後国の上杉謙信(輝虎)と相模国の北条氏康でした。両者ともに「関東管領」という立場を得ようとしたのです。室町時代以降、群雄割拠の時代って大変だったのが分かります。越後、相模、駿府(徳川家康)の武将の中で、氏康と謙信は、下野国の太平山の麓にあった、大中寺で「和議」を行います。

 謙信の叔父が、この寺の住職であったことから、場が設けられて、1568年に話し合いが行われています。謙信は、太平山に登り、関東平野を一望するのです。越後国には、これほどの広大な平野はなかったから、感ずるところが大だったことから、その箇所を「謙信平」と呼ばれるようになったのです。

 昨日、家から徒歩で、国学院大学の敷地の前を通りながら、その謙信平へ行く道を左に逸れて、太平の麓への道を歩いてみたのです。舗装で整備されていますが、他にも山道がありましたが、謙信が降った道だったかも知れません。謙信は、単独行ではなく、一軍を率いて歩いたわけです。そこから降ったのです。

 なだらかな道で、枯葉を踏みながら、戦国の世を思いながら歩いていたのですが、車が、エンジン音を立てながら脇をすり抜けて行きましたので、戦国情緒は台無しでした。山道を歩くので、刀を持てませんので、「手鉈(てなた)」を身に付けてでした。猪や熊が出てきたら身を守るための武器で、さながら戦国の武将のような思いでしたが、草鞋(わらじ)ではなく、sneaker を履いていたので、時代考察が足らなかったようです。

 初冬の山は、趣があってなんとも言えない気持ちでした。華南の街の森林公園から、山歩きのコースがあって、何度か歩きましたが、ここもそこも、自然の中に身を置く気分というのは、爽快です。浅草駅から東武電車に乗って、遠足でやって来た小学生たちが、歩いた帰りのコースだったかも知れません。
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