今年の5月1日に、隣町の壬生町に出かけました。塚の古跡があるということと、散歩を兼ねて、東武線の壬生駅で下車して歩いた訪ねたのです。豪族の墓塚の車塚、牛塚が、整備されてありました。集落の傍にか、川の傍にあるのか、集落は川の近くに作られたのでしょう、南北に「黒川」が流れていたのです。
「日本奥地紀行」を著したイザベラ・バードが、『よく手入れされた麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感した。」と書き残した、「鹿沼」が、この黒川の上流に位置しています。栃木で、街の名として覚えていたのは、日光、那須と鹿沼でした。子どもの頃から、「鹿沼土(上の写真)」が、盆栽家庭菜園などで使われていると聞いていたので、どこにあるかを確かめなかったのですが、東武日光線に乗るようになって知ったのです。
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この鹿沼土は、火山の赤城山から噴出し、火砕流がもたらす軽石で、造陸造山活動で、地表に流出した物です。歳をとって、時間ができたのか、コンクリートの中に住んでいるからでしょうか、遠くの大平山の緑は目にできるのですが、身近に緑が欲しいと思っているところに、子どもたちが送ってくれた物が置かれて、目を楽しませてくれています。
市内を運行する、ゆうゆうバスに乗って市立花センターやカインズの花売り場に行くと欲しくなったりして、買ってしまった物もあります。この夏前から、ミニトマトや朝顔が勢いよく咲いて、緑だけではなく実もあるベランダでした。
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遠くの緑とベランダの緑に、どんなに慰められたことでしょうか。今も写真のように、素敵な花と葉を見せてくれています。平家に住んだら、庭に棚を作って、鹿沼土を買って、園芸に精出したい願いがあります。狭いベランダの活用が、今は課題です。