賛美

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 『神よ。あなたに、私は新しい歌を歌い、十弦の琴をもってあなたに、ほめ歌を歌います。(詩篇1449節)』

 中学の頃から245才まで、母に誘われて時々、特別集会には出たことがありました。でも、聖書研究会にも、祈り会にも、もちろん日曜日の礼拝に行くようになったのが、25才の頃でした。その頃、よく集会の中で歌われていた のが、chorus でした。聖書のことばに melody をつけたものでした。ニューヨークから来た神学校の教師が、アフリカで宣教する教え子たちを応援するための旅行の途中に、私たちの教会を訪ねてくれた時でした。

 この方が、アメリカの一部の教会で、賛美し始めていた “ Making melody in my heart /心の中でメロディーをなど、何曲か紹介てくれて、それを日本語に翻訳して歌い始めたのです。讃美歌は素晴らしいし、聖歌も素晴らしいのですが、「新しい歌」を歌って賛美するのも聖書の勧めですから、それが新しい世界的な潮流で、賛美礼拝で起こり始めていたのです。

 その後、またたく間に、日本にもアジアにも、ヨーロッパにもアフリカにもオーストラリアにも広がっていきました。その反面、『おかしなことが起きている!』と、新しい動きを危惧する声が、伝統的な教派や教会に上がってきていました。厳かな賛美歌で賛美をしてきたみなさんには、奇異にも、異端にも聞こえたのかも知れません。

 でも音楽的にも水準の高い新しい賛美ですし、なによりも、詞と melody を、神から与えられたものが、ほとんどでしたから、聖書的でした。それが、若いみなさんに受け入れられ、多くの教会の礼拝でも歌われるようになりました。私たちが集った中国の教会でも、台湾やシンガポールを経由して、礼拝で賛美されるようになったのです。音楽を学んだこともない方に、詞や melody が与えられて、「新しい歌」が歌われ、多くの教会で涙ながらの感謝に内に賛美されているのです。

なが瞳のように守り 死ぬことのないように  御翼の影に われを匿いたまえ(『私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。(詩篇178節)』)

わたしは静かに神を待つ わたしの救いは神から来る わたしは決して揺るがない わたしの救いは神から来る   (『私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。(詩篇625節)』)

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 この賛美に励まされて、教会で奉仕し、大陸の教会でも仕えることをしてまいりました。私たちの信じる神は、

 『けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。(詩篇223節)』

とおっしゃる神だからです。その神が選ばれたイスラエル民族や基督教会の賛美の中に、ご自分を顕し、そこを住まいとされる驚くべき神だと、ダビデは賛美したのです。

(“ キリスト教クリップアート” からです)

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