花束

 

 「冥利(みょうり)に尽きる」を、gooの辞書でみますと、『その立場にいる者として、これ以上の幸せはないと思うこと。「教師冥利に尽きる」』とあります。今日は、1年生の「発音」の授業で、「東教201室」に、一礼して入ると、『おはようございます!』と一斉に大声で挨拶をされました。このクラスは、いつも、そういった歓迎の意を表してくれます。それで、こちらも『おはようございます!』と返しました。すると、間もなくクラスの代表の数人が、花束を抱えて私のところに近づいて、今度は、『ありがとうございました!』と言って、その美しい花束を渡されたのです。

 大学に入って、9月の間は、一切の学習の前に、新入生の「軍事教練」が、中国のすべての大学で行われます。迷彩服と帽子と軍靴を履いて、まだ真夏の炎天下に、声を張り上げ、隊列を組んで行進をするのです。芝生の植わった運動場やバスケットコートが十面以上も取れる場所で、教練が繰り返されるのを、教室にへの行き帰りに眺めてきました。それがすんで、9月の最終週から、授業が始まったのです。初めて日本語を学ぶ学生が大部分ですから、全くの基礎学習なのです。教科書通りの「あいうえお・・・ん・・・きゃきゅきょ・・・」の繰り返しです。私の後について、彼らは、『あいうえお・・・ん・・・きゃきゅきょ・・・』と唱和します。何枚ものレジュメを日毎に作って配り、それで、実に単純な発音練習を繰り返して、今日は最終講義だったのです。「素直」というのでしょうか、「実直」、「素朴」といったらいいのでしょうか、初々しい顔を上気させながら唱和する80数名の2クラスの授業を担任し、昨日一班、今日は二班の授業が終了したのです。もう少し授業数があったらと思うのですが、学校の規定ですから仕方がありません。あとは期末試験を待つのみになったところです。

 授業が終わると、全員で、『記念写真を撮りたい!』ということで、みんなが寄り添ってカメラに目を向けました。誰かが、テーブルの上に私が置いた花束を持ってきてくれ、それを抱えながらの撮影でした。それが終わると、『好き・・・「わたしはチョコレートがすきです。」』という会話を教えたからでしょうか、チョコレート好きの私のために、チョコレート、クッキー、中国の伝統玩具、鉄観音のお茶、ノートブック等々、プレゼントを渡されました。この気持を、どう表現したらいいのでしょうか、まさに、『教師冥利に尽きる!』の一言でした。物のせいではなく、彼らの心が嬉しかったのです。


 こちらにやって来て、天津で一年間中国語を学び、その後、越して来たこの街で出会って、友人になった方が紹介してくれた大学で日本語を教え始めました。もう五年になります。明日の中国を支えていく若者たちと接する機会が与えられ、彼らの学びに関わって、教授する立場が与えられるというのは、実に驚くべき特権であります。クラスが終わってキャンパスを歩いている時、いい知れない感謝と、何とも言えない充足感と疲労感、若者たちの熱気に触れる清々しさで、心が満たされ、気持ちがいくどとなく高揚したものです。これまで教えさせていただいどの学年も、素晴らしい若者たちで教室は溢れいました。学生の中には、第一志望校には進めなかったのですが、心機一転、自分の前に開いた扉から入っ来て、精一杯に学ぼうとしている姿は、実に素晴らしい心意気を感じさせてくれます。

 黒板の板書を拭き、消灯し、ゴミを拾って教室を出た私は、その花束を左手で抱え、キャンパスをバス停まで歩き、バスに乗って我が家に帰ったのです。その道筋は、勲章をもらった軍人のように、なんとも言えなく誇りを感じて歩いてしまいました。だれにも聞かれませんでしたが、『これ、俺の可愛い学生たちにもらった花束!』と自慢したい気持ちで一杯でした。お小遣いを出しあって買ってくれた、その気持が、私の「勲章」です。今日も満足な一日でした。家で待っていた妻にも、この勲章を抱かせて、記念の写真に収めたところです。いつも気持ちを添えてくれているのですから、勲章を分けあえたことで、二重に幸福をかみしめられた一日でした。

(写真上は、頂いた「花束」、下は、プレゼントに添えてあった「メッセージ」です)

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