こんな素敵な男

 

 好き嫌いの激しかった私は、食べ物も、人もはっきりと分別をしていました。ところが、あんなに嫌っていた人参は、今では生かじり、葱はどんな料理にも添えられるようになって不思議でなりません。一番嫌いで、こわいのは、実は《きんつば》なのですが。とくに人嫌いは、激しかったかも知れません。人と和すよりは、常に対立し喧嘩になっていたからです。社会人としては失格なわけです。ところが25歳くらいから、人を憎んだり罵倒したり叩いたりする対象から、出来うるかぎり、『この人の良い面、長所を観て評価しよう!』と、《人間観》を変えたのです。失敗の多かった私は、そうするように学ばされたからです。物事は、否定的に捉えるよりは、肯定的に見たり、判断する方が、好結果を生み出すことを知らされたからであります。

 どこにも、《ちくり屋》がいます。こういったのは、今でも大・大・だいっ嫌いです。この言葉は、隠語なのでしょうか、辞書を引きましたら、『俗に、告げ口をするの意。』と出てきましたから、俗語なのでしょう。よく小学校で女の子が、『あららこらら、◯◯ちゃんはいけないんだ。せんせーに言っちゃおう!』と言われたことがあります。あれが《ちくり》なのです。『人の秘密を暴露すること。』と定義した方がいいと思うのですが。私のすぐ上の兄は、長くホテル・マンをしてきまして、《ミスター・シェイクハンド》と呼ばれるほどの名物職業人なのです。定年退職後も、請われて現場に残り、閉館まで働いていました。そのホテルが、今秋、同じ敷地に建てなおされたビルを使って、新装開業することになっています。この開業に合わせ、兄は招聘されてスタッフとして、また最前線で働くのだそうです。悠々自適な引退生活を送られる年齢なのですが、じっとしていられないのでしょうか、開店準備に今は余念が無いようです。

 この兄ですが、彼は《口の堅いホテルマン》なのです。仕事柄、要人や有名人の公私にわたる生き様をつぶさに見続けてきたのですから、醜聞の題材は枚挙にいとまないほどでしょう。『本を書けるよ!』と言いますが、職業柄知り得た個人に関わることについては、秘匿責任がありまして、それを固く守りぬいて生きているのです。それは職業人として当然です。でも、どの世界でも同様、ちょっとした噂に尾びれ背びれをつけて、面白おかしく書いて、原稿料を稼いでいる輩がおりますが、兄の漏らそうとしない頑固さには敬意を払わざるをえないのです。よく、妻や夫や恋人だった過去の人の事を、関係が壊れたあとに、秘密を《ちくる》のがいますね。こういったのは最低級の人間ではないでしょうか。名だたる人物も、愛した部下に《ちくられ》て、命を落とした歴史的大事件も、過去にありました。秘匿すべき責任を持てなくなったら、人は終わりですね。

 私は《人の秘密》には、全く関心がありません。いい生き方をしている人間にだけは興味津津です。そんな素敵な男に、こちらに来てから出会わせてもらいました。ただ、少々の困難な状況下におかれていると、今日聞きました。どうも、これも《ちくり》によるものと思われます。この困難な経験が、彼を、さらに練磨して、輝かせてくれ、ご夫人とお子たち家族、そして彼の兄弟姉妹たちをお守り下さることを楽しみにしています。彼のことを覚えていただけますように!

(写真上は、波打ち際にある「集まり場」、下は、開業を間近にしている国会議事堂の近くのホテルです)

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