須川宿

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 群馬県みなかみ町に、「須川宿」があります。戦国の武将・真田昌幸縁(ゆかり)の地で、江戸から、中山道を上って、高崎宿から、越後に抜けて北上していく「三国街道」沿いにある宿場です。幕府直轄の佐渡金山、越後の村上藩や高岡藩や高田藩などが、参勤交代で利用した当時の公道の高崎宿と三国峠(越後、信濃、上野の三国)の間にある宿場なのです。

 中山道の高崎宿から越後に向かう三国峠を通過し、長岡や寺泊までの道を、「三国街道」と呼びます。今の国道17号線ですが、旧道脇に、この「須川宿」があるのです。そこに「資料館」があって、今回、この宿場で草鞋を脱いで投宿し、見学しました。家内の治療を終えた足で、長男が車で送ってくれて、10日の晩から二泊三日を過ごすことができました。
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 緑の濃い山が、自然の城壁の様に迫っている村里の宿です。佐渡銀山に囚人を送るのに、役人が峠を越そうとして遭難して、送り役人は亡くなり、七人の囚人だけが生き残った事故があったそうで、案内をしてくださった係の方に、そんなことも聞きました。それほど、三国街道の峠は難所だったそうです。
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 そこには、たくさんの古文書(資料)が残っていて、難儀な旅をした記録がありました。「町おこし」の事業の中で、今では「たくみの里」と銘打って、道の駅があって、紙工房などがあったりです。明治期には、関東や信州では、養蚕が奨励されて、「生糸(絹)」で外貨を稼ぐと言う、明治維新政府の国家政策の中で、多くの農家が、蚕を飼ったのでしょう、養蚕をしない今、総二階の独特な家が残されています。繭は富岡生糸工場などで生糸にされ、高崎から八王子、そして横浜港へと鉄道で運ばれ、そこから世界に向けて輸出されたのです。

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 今では養蚕に代わって、リンゴ、ブルーベリー、ミニトマト、トウモロコシなどの栽培や観光園などを展開している様です。近くには谷川岳があり、登山付きの方には、メッカの様な場所になっています。自分が、旧甲州街道脇の家に住んだ経験がありますから、自分の前を、わらじ履きに旅人が行き来していたことを思い浮かべて、ふと私の足元を見ると、丈夫なズック靴がありました。まさか、三国街道沿いの宿場町が、観光地になるとは、思いもよらない、時の流れ、変化に驚くことでしょう。

 〈宿泊者に一本〉のトウモロコシのお土産の刈り取りがあり、家に持ち帰、早速茹で上げました。甘くて美味しかったのです。家事爺を家事から解放させたい家内が、息子に紹介された宿に申し込んでくれた旅でした。帰って来てから初めての県外に出掛けられたのは感謝。

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