温故知新

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 華南に住んでいた時のことです、わが家の近くを発着する公共バスの路線沿いに、旧市街の古い街並みがありました。その道路が、珍しくクネクネと曲がっている箇所があったのです。昔、アメリカの宣教団体が、中国の近代化のために、医学や工学の学校を建てた地域なのです。そこに、この団体が残した、大きな病院があり、いつも人で溢れています。

 その病院を避けるように、道路が曲がっているのです。街中は、ほとんど碁盤目のように、直角に作り直された道路ばかりですが、その辺りは、昔のままの街並みを見せてくれていました。地主がいて家屋や商店があって、出っ張ったり引っ込んでいたりしていて、そのような地域に住み続けたのでしょう、やはり古い中国風の家屋が残っていました。

 もう極わずかですが、路地の奥に、そんな家があって、用がなければ、バス停で降りて、散策してみようと思っているうちに、取り壊されて無くなってしまったのです。近代化は、過去を否定することではないのです。古いものに価値を見出そうとしないのは、残念でしかたがありませんでした。

 古い物は役立たずなのでしょうか。あの街でも日本でも、昔の街並みは残しておくべきだと思うのですが、火災や地震を想定して、防災と言う名目で取り壊されていくのは、とても悲しいものです。以前、この街の他の地域に住んでいた時には、かつての領事館や大学職員の住宅があった地域で、その建物に、今も代替わりで、人が住んでいたのです。

 その高台から下っていくと、旧市街と新興地域の間を流れている川になります。その長細い地域に、たくさんの古い住居が密集していたのです。散歩のたびに眺めていて、中国の庶民の生活ぶりが、興味深くうかがえたのです。ところが、これも、いつの間にか、取り壊されて更地になってしまいました。 あそこに住んでいたおじいちゃんやおばあちゃんたちは、どこに行ってしまったのでしょうか。懐かしい思い出を失ってしまった様で、泣く泣く移り住んで行ったのだろうと想像していました。

 他の路線のバス停の名前に、「李宅站」とか「刘宅站」があるのですが、その地域の地主とか名家だったのでしょう。名前だけ残って家は残っていないのです。きっと昔は、大きな敷地に、何十人もが住んでいた所なのでしょうが。そういった昔を知っている人もいなくなっているのでしょう。

 ヨーロッパでは、何百年も、同じ家に人が住み続けていると聞くと、文化遺産としての価値を高く評価しているのだということが分かります。貧しい時代があって、今があるのですから、残しておくべきだと、切に思うのですが。年寄りの「冷や水」でしょうか。古き良き時代を大事に保護しておきたい、「温故知新」の私です。

(街の中心に行くためのかつての橋です)

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