祖国の復興を願う

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 「古文」の時間に、鴨長明の「方丈記」を学んだのを、眼下に流れる巴波川を眺めながら思い出しました。

 『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。』

訳文 『流れて行く川は絶え間なく流れている。その流れる水も、同じ水ではない。川の澱みに浮かんでいる水泡は、消えては、またできてくる。そこに長く止まることなんてない。この世の中に生きている人も住居も、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものだ。』

 「日本文化」の講座をお願いされて、向こうに学校で教えていたことがあります。日本人の心の中に刻み込まれた「儚(はかな)さ」や「無常観」についても触れてみたのです。私の中学の担任は、『かつて(鎌倉期)の日本人(武家も庶民も)は大らかで快活な国民性を持っていたのだ!』と教えてくれました。つまり、クヨクヨしたり、悲観的ではなかったことを語ったのです。仏教の「諦観」や「儚さ」や「無常」とは違ったもので、心も社会も形作られていたと言ったのです。

   私の育った父の家には、家を飛び出した父でしたから、仏壇もなければ、神棚もありませんでした。札が貼られたりもしてありませんでした。正月や彼岸やお盆などの日本文化や宗教の行事とは、まったく関わりを持たない家でした。ただ母が聖書と讃美歌を持っていて、それも礼拝対象物ではなく、壁に掛けたり身につける十字架もありませんでした。

 お世辞にも、私たちに育った父の家は、《大らか》だったとは言えませんが、大声や怒鳴り声や叫び声が溢れていたので、そうする男5人は感情表現が十二分にできていて、引き籠ったり、イジイジすることなく、世間体など気にせず過ごせたのです。だからでしょうか、悪魔も悲しみも儚さも退散して、世間体なども気にしないで、『どうにかなるさ!』な雰囲気で満ちていたのです。

 鴨長明は、不遇の人で、やがて出家し、高野川か御手洗川の流れを見て、嘆息をついたのか知れませんが、旧約聖書の預言書の中に出てくるエゼキエルは、捕囚の民でありながら、ケバル川のほとりで、《神々しい幻》を見ました(エゼキエル11節)。

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 『第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た・・・私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。(エゼキエル書114節)』

 どんな幻だったかと言いますと、青銅の輝きの中で、四匹の獣を見たのです。異象でしょうか、幻でしょうか、将来起こりうる啓示を、世界を創造し、統治する神から受けたのです。儚さや悲観など入り込む余地は、彼の思いにはありませんでした。最愛の妻を奪われ、不遇な中を過ごしますが、挫けませんでした。異国にありながら、涙ながらに祖国や民族の回復や復興を信じて、預言者としての生を全うしたのです。

 私も、儚んだり悲観的になって生きていません。同じ預言者であるエレミヤが言う様に、《将来と希望を与える計画(エレミヤ2911節)》を信じて、生きてきました。これからの残された月日も生きていくつもりでおります。巴波川の流れの泡にではなく、立ち登る正気に満ちた潤いを身に、心に感じて、生まれ育った国の霊的な復興を願って、生きていく覚悟です。

 

(巴波川とバビロンの庭園の想像図です)

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