入学祝

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 これまで何度も外科手術をしてきたなあ、と思い返しています。最近では、2017年4月15日に、札幌の整形外科病院で、左肩の腱板断裂の縫合手術をしていただきました。押しかけ女房の様に、帰国して、予約もしないで、成田空港から、その病院に宅配便で旅行鞄を送ってしまったのです。病院側は、当惑しながらも仕方なく、その日の手術に、もう一件加えて、私の手術に当たってくれたのです。
  
 そんな患者は、それまで一人もいなかったそうで、厚かましい私を、《中国からやって来た日本人の患者(ナースステーションの一人の看護士さんがそう言ってました!)》と呼んでいました。そんな私に、『私が治します』と言ってくれた担当医(中国の街からの私のメールでの問い合わせに回答してくださった医師で、この病院の理事長でした)から、手術が1時間で終わる旨、説明を受けました。「骨密度」は、青年並みだそうで嬉しくなりました。

 二日間は、病院の指定のホテルに泊り、《成田から宅配した旅行バッグ》を受け取って、15日の朝に入院し、着替えや本などを病室の棚に収納にしまったのです。看護師長さんが来られ、中国から頼って来てくれた《押掛女房》の様な私を、『O医師が、自分を頼って入院してくれたことが、いつになく嬉しそうでした!』、と言っておられました。前の日に夕食に、牛ステーキの全国展開をしている店で、《国産サーロインステーキ250g》を、娘が勧めてくれましたし、自分が食べたかったので奮発して、手術に備えたのです。
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 独身時代以降、そんな《独り贅沢》をしたのは初めてのことでした。痛がるだろう自分への《なだめの御馳走》でした。それで、朝昼なしでも空腹感が全くなかったのです。看護師の話ですと、夕方5時からの手術が終わって、麻酔がスッキリ覚めてから、夕食を取り置きしてあるので、出してくれると約束してくれていました。その日、O医師は、何と8件の手術を執刀して、最終に私を加えてくださったのです。

 すごくタフな整形外科医師ではないでしょうか。順調なので、1時間ほどで手術は終わったのです。その12年前の右腕の腱板断裂の手術の方法は、もっと時間がかかったでしょうか。あの時は、術後2日ほど、右腕を釣り挙げられて、ベッドに固定されてしまいました。看護師に『自殺者がいたんです!』と言われたほど、苦しい経験でした。それがすむと、アメフトのプロテクターをつけて、手を万歳したまま固定されていたのですが、札幌では柔らかな資材の装具を着けてもいました。腹部で支える様にされていました。

 術後、とっておいていただいた夕食を温め直してくれ、食べたのです。鷄肉の照り焼きとキャベツの炒めた物と薄い味噌汁と米飯だったでしょうか。その手術の専門病院でしたので、同じ様な装具をつけた患者でいっぱいでした。翌日には、何とリハビリが行われました。

 術後の長いリハビリを終えて、中国の華南の街に戻ったのです。戻って来た私に、『《術後の回復》のために!』と、自分のためにお母さまに買ってもらった、貴重な《肝油ドロップス》を、一人の高校生から、退院祝いにいただいたのです。この四月三日、帰国子女として合格した名門大学の入学式が行われ、校門の前で撮られた、お母さまと大学生になられた彼とお二人の写真が送られてきました。

 素晴らしく成長され、目が輝いた姿が写っていました。お父様も、お母様も、華南の街の省立医院に入院中に、家内をお世話くださったのです。お母さまは、家内のお世話に、毎日来てくださったのです。その病室で、息子の受験勉強のマメタンを、セッセと書き込んで作っておられました。素敵なお母さまで、帰国後には、お見舞いにもおいでくださったのです。

 彼の入学祝いに、何を贈ろうかと考えていましたが、《永遠のベストセラー》と言われ、世界で一番多く翻訳、印刷、刊行されている「聖書」を、彼に送りました。自分たちの孫が入学した様な喜びがしております。彼は、私の作るカレーライスが好きだそうで、コロナが終息したら、おいでいただいてご馳走したいと思っているところです。

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