個性的に

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 『同じ様な服装をして、同じ様な髪型をして、同じ様な話題を話している!』と、欧米人は日本人を見ているのです。それは押し並べて、東アジアに共通している様です。最近の日本では、制服が敬遠されたり、廃止されたりする傾向が強いのですから、日本人も個性的な主張や生き方ができる様になったのでしょうか。

 民族的に薄っぺらい顔をしている日本人も、最近では彫りが深くなったり、鼻が高くなったり、顎の張りがなくなってきている様です。明治生まれの父の髭が濃くて、かく言う子どもだった私も、そうなりたかったのが、中学生に入ってからでした。大正生まれの担任も髭が濃くて、〈男らしさの象徴〉だと、朝礼の時に聞いたことがあったからでした。

 それで、毎晩入っていた風呂で、父の髭剃りを借用して、一生懸命、鏡に向かって、生毛(うぶげ)の鼻の下を剃っていました。母に似たのか、髭が薄いのです。濃い髭にならないまま大人になってしまいました。二度ほど髭を生やしたのですが、〈ヒケ〉程度で、全然男らしくないのです。家内や子どもたちに不評で剃り落としてしまいました。

 中学生のいつ頃だったでしょうか、住んでいた町のお菓子屋に入った時に、店のおばさんが変な顔をして私を凝視していたのです。鼻の下あたりを見てました。家に帰って鏡を見ましたら、髭願望のあった私は、母の黛(まゆずみ)で、鼻の下に髭を描いたのを、消し忘れたまま買い物に行ってしまったわけです。その店には、その後、行きずらくなってしまいました。

 もうとっくに、子どもたちの成人式は過ぎてしまったのですが、みんながする振り袖の「晴れ着」を、長女は着たかったのです。でも買うことも、借りることもさせないで、同級生のいる故郷に、東京の下宿先から帰って来て、普段の服装で参列していました。〈反ミーちゃんハーちゃん主義〉の父親のために、長女の夢は砕け散ったてしまったのです。

 その代わり、学校の卒業式には、友人のお母さんに借りたと言って、長袖の和服に袴と長靴(ちょうか)の明治の女学生姿の出立ちでした。それを見た家内と私は驚いてしまい、その学友のお母さんにお会いして、感謝をしたのでした。次女は、親元ににいませんでしたから、長袖願望があったかどうかは分かりません。

 「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。 (エペソ6章1節)」

 昭和の頑固なレトロ親爺の被害者の娘たちには、ずいぶん抗議されたのですが、過ぎた時を戻すことができませんので、今になると、もう何も言わなくなりました。彼女たちも、今や〈後期昭和のおばさん〉ですから。でもけっこう個性的な生き方や選び取りをして生きて来ていると思います。

 男の子は、男の子で、自分の道を自分で見つけ出して、それぞれに生きて来ています。みんな今は、それぞれに社会的な責任を負いながら励んで生きているのです。私たちは、あまり過干渉にならない様に、育ててきて、けっこう厳しく規律し、懲らしめもしたのですが、生きていく原則を教えてきたと思い返しています。

 それでも、夢を叶えて上げたかったなあと思うのですが、今頃になってしまっては、どうすることもできません。お隣の国では、女性の顔が同じ様だと言われています。最近、何気なくサイトを見ていた時に、特に女性有名人の〈術前術後〉の写真を見たことがありました。その違いに驚いてしまいました。化粧と整形手術で、顔でも体でも手を入れると、あんなに美しくなるのですね。親に似ていた方が、自然のママで個性的でいいのです。
 

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