魏志倭人伝

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 『日本人は、正しく自国の歴史を学んでいない!』と言われています。そんな意味で、歴史を学ぶ上で、「魏志倭人伝」が面白いのです。漢文で書かれていますが、和訳を見つけました。その書き出しに次の様に書かれてあります。

 『倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいて、山や島を境界にして国やムラに分かれている。昔は百を超える国があった。漢の時代に朝見してきた国があり、いま外交関係にあるところは三十国である。・・・南にいくと「邪馬台国」に至る。女王の都するところだ。水行十日と陸行一月である。官に「伊支馬」がある。次は「弥馬升」、次は「弥馬獲支」、次は「奴佳鞮」という。七万余戸だろう。』

「倭国」にある「邪馬台国」が紹介されていて、女王が支配する国であったと記録されています。社会習俗については、次のようにあります。

 『その風俗は淫らでない(婦人は淫らでない、嫉妬しない)。男子はみな髪を露出し、木綿を頭に巻いている。衣服は横広の布を、ほとんど縫わないままつなげて、ひもで結び束ねている。婦人は束ねた髪をまとめて、単衣の中央から頭を出して着ている。』

「淫らでない」というのは、男女関係が正しかったという意味ですと、結婚や家族が尊ばれていたということでしょうか。上下の身分の違いなどについては、次のような記事があります。
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 『身分の低い者が高い者と道で遭遇した場合は、あとずさりして草むらに入る。言葉を伝えたり、物事を説明する際には、うずくまったり、ひざまずいて、両手を地につける。これは恭敬作法である。』

 江戸時代に、大名行列に出くわした農民や町人が、道の端で、土下座をし、頭を地につけて見送った光景を描いた絵を思い出させられます。もう古代からあったことだとすると、実に興味深いものがあります。あまた食習慣については、次のように記されてあります。

「冬でも夏でも生野菜を食べる。」

 私の母は、温野菜を、よく食べさせてくれました。大根やジャガイモやハスなどを煮て、醤油や砂糖の調味料を加え、肉なども一緒にして炊いてくれました。きゅうりとかトマトは、時期になると生で食べたでしょうか。生野菜の食習慣は、肉やハンバーグを食べ始めた頃から、日本では一般化してきたのでしょう。古代に<生野菜>は似合いそうにないのですが、それをカジっている音が聞こえそうです。

 この「邪馬台国」の女王の「卑弥呼」は、位の名や職名ではなく、個人的な名前であったように記されています。この伝記では、国の位置を特定できませんが、この日本列島の何処かにあったのだということは確かです。自分の国の古代の様が生き生きと記されていて、浪漫を感じさせられてしまいます(訳文は「デジタル邪馬台国」によります)。

 自分の祖先が、卑弥呼の時代に、どこに住み、何を考え、どんな願いを持って生きていたかは、興味が尽きません。将来にどんな可能性を考えていたでしょうか。何か不足を覚えていたでしょうか。人を愛したり、憎んだり、和解したりしていたのでしょうか。

(「吉野ヶ里遺跡」です)

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