「待つ」という学課

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 「こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。 (ヤコブ5章7〜8節)」

 人生の《一大学課》が何であるかについてです。現代人は、特に、この学課を学ぶのを避けて生きているのではないかと思います。《待つこと》です。

 『急いては事を仕損じる!』と先人も申しましたが、それを地でいった人の話を聞きました。「宮本武蔵」や「鳴門秘帖」の名作を手掛けた吉川英治が亡くなって、盛大な葬儀が、1962年9月に行われました。長蛇の焼香客の中に、これまた戦後の文壇で名の馳せた尾崎士郎がいました。

 その頃、文壇の寵児として人気のあった三島由紀夫などの気鋭の作家たちも、その葬儀に駆けつけました。三島らは、『先生こちらへ!』 と言われて、列に並ばずに進むことができたそうです。ところが尾崎士郎は、じっと列の中にとどまって、順番を待っていたいたそうです。どなたかが、そう言った違いを目撃していたのでしょう。

 私は、高校時代に、この尾崎士郎の「人生劇場青春篇」を読んで、早稲田に進学することを考えていました。バンカラな昭和初期の早稲田に学んだ尾崎の自伝的新聞小説で、そこに描かれた学生生活に憧れたからです。早稲田には行きませんでしたが、早稲田の国文学科長に気に入られたことがありました。

 実は、私には、滞華生活の中で、〈悔い〉と言うか申し訳ない経験があるのです。小学校の頃からたびたび中耳炎で苦しんで、街の耳鼻科医に診てもらってきました。華南の街で生活していた時に、それを再発して、医科大学医院に連れて行ってもらい、診てもらったのです。私たちの世話をしてくださっていた大学の教師の方の友人が、その医科大の耳鼻科の医者でした。
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 その時、驚くほどの人が、診察室の前で待っていたのです。それが中国では普通なのか、中国の医院では、医師や婦長に知り合いや推薦のある患者が優先的に診てもらえるのです。学校で教えていましたから、『先生こちらへどうぞ!』と、何十という人、百人以上の人よりも先に診察してもらったのです。自分に主導権がありませんでしたから、言われるままに、多くの患者さんを飛び越えて医者の前に立ったのです。

 すごく申し訳がない思いで心がいっぱいで、特権を喜べなかったのです。思い返すと、弔問の列の中で待たなかった三島由紀夫の様だった自分が恥ずかしかったのです。恨めしそうな視線が向けられていましたが、苦情や文句や不平が出ることがなかったのも、さらに申し訳なさの思いを増幅させたのです。

 私は権利を主張できる立場ではありませんし、かつての侵略者の末裔なのですから、恨まれても当然なのに、自分の意志でない特権に預かったことが、いまだに忘れられないまま、家内の診察を、順番待ちしている今です。あの焼香の客の列に留まった尾崎士郎の様な、自己主張や特権行使をしない生き方っていいですね。

 エルサレム教会のヤコブは、『耐え忍びなさい!』と、『早く、速く!』と言って生きてる二十一世紀に私たちに《待つこと》を勧めています。時には、定められた時があって、どうしても待たなければならないのですが、間もなく事が起こりそうです。自然界が時を待つ様に、今、急がずに待ちつつある私です。

 
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