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昨年、コロナ感染の発症者が栃木県内で出た3月27日に、県の発表の内容に、次の様にありました。感染者の居住地に、「安足」と言う地域が出ていたのです。一瞬どこか分かりませんでした。それは、昔から「足利・佐野両市」の総称を言っていて、市町村がどこかを特定しない表記だったのです。同じ様に、私たちの住む栃木市も、「県南」と言う表記だったのです。
こう言った〈居住地隠し〉が、社会不安を生み出さないと言う思いとは逆に、『どこで感染したんだろうか?』、と言う心配のこもった思いを惹き起こしたわけです。誰にでも、どこにでも発症しておかしくない感染症なのですから、自分の街の、どの辺りに感染者がいると知る、必要があるのだと思うのです。
それを秘匿するのがいいのか、住んでいる市町村を公にするのがいいのか、何と無く特別な日本的な動機が隠されている様に思えるのです。子どもの頃に住んでた街で、「赤痢」がはやりました。狭い街ですから、噂は噂を呼んで、どこの家かが分かりました。だって保健所が、やってきて、普段しない、白い消毒の粉を、その家の周り中に散布するのですから、隠せおおせななかったのです。
寒さが厳しくなって、年末から『火の用心!』を、スピーカーで呼び掛ける車が、夜になると巡回しています。昔あった〈自警団〉の復活です。自警や自粛の行き過ぎが、「自粛警察」になり、言葉や態度の棍棒を振りかざすわけです。市や国が「自粛」を要請すると、その様に過敏に反応してしまうわけです。
それに尾鰭をつけた「噂」の広がりの方が問題なのではないでしょうか。はっきり公報で具体的な対策などを知らせるなら、憶測や偏見か守られるわけです。それと並行して、住民社会から、感染者がどこから出たかが分かって、『デテイケ!』とビラが配られ、壁新聞を貼られたりして、非難の矛先を向けられて、そこに住んでいられない様な、差別を被ることもあるから、それを避ける方策が必要です。誰でも罹りうるという意識を持つことでしょう。
「自粛警察」のこわさもあります。気の弱い住民は、浮き上がり、村八分を受けて、多くの被害者を産んでしまう、まさにそんな日本的な制裁があります。『感染者を出したのは自業自得だ!』との地域からの制裁です。そう制裁する人は、自分は感染しないとでも思っているのでしょうか。
何か、決断が遅くて、後手後手な感じが否めません。また厄介なのが「同調圧力」です。多数者の意見に合わせる様に、「同調」を迫って来る「圧力」があります。日本人の弱さです。個人の意見に聞く耳を持ちません。『日本人たれ!』と迫られて、日本人は同調して、批判能力を、かつて失っていたのです。
今や地球大でものを考えなければならない、"global "な時代です。『日本だけが安全だ!』なんと言ってるご時世ではありません。ロンドンでクシャミをすれば、東京や横浜で〈コロナ〉の時代だからです。東京で悪寒を覚えたら栃木で〈風邪引き〉です。《地球人の一員》として考えていかねばなりません。
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