ありかなしか

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 勝つための「手段」があります。とくにスポーツの世界には、昔は、「青田買い」が話題になっていました。中学生時代から勧誘することもありました。これは外国人の話ですが、1995年の大学駅伝では、アフリカ系の留学生の選手を擁した大学が、優勝したりしてから、大学だけではなく、高校の運動部にも、留学生選手が主力選手として活躍している動きが顕著になってきています。

 《global/グローバル》な時代ですから、ことの良し悪しは言えませんが、〈勝つための手段〉としての外国人留学生を起用する傾向に、賛否両論がある様です。こちらは人種に関わることですが、アメリカのプロ野球では、初期には、アフリカ系の選手が活躍する機会は皆無でした。ところが、身体能力の優れた選手が台頭してきて、球団は彼らの参加を期待したのです。

 最初の事例について、『アフリカ系アメリカ人のメジャーリーガーは1884年にアメリカン・アソシエーションでプレーしたモーゼス・フリート・ウォーカーが最初とされている。』と言われています。そして、1947年4月10日、ロイヤルズの一塁手として、アフリカ系アメリカ人最初のメジャーリーグのプレーヤーとして出場したのが、ジャッキー・ロビンソンでした。その年、打率.297・12本塁打・48打点・29盗塁と大活躍し、リーグ優勝に貢献したのです。それは素晴らしいことでした。

 今や、大リーグのチームは、多国籍選手によって成り立っています。あの野茂やイチロー の活躍はご承知の通りです。商業スポーツだからでしょうか、優秀な選手をアフリカ系、ラテン系、アジア系から登用するのは当然なことでしょうか。ところが高校のスポーツで、〈勝つこと〉のために、留学生を受け入れて、熾烈な争いを繰り広げているのは、好いのでしょうか。

 一昨日、京都で、「高校駅伝」が行われました。女子の部で、優勝したランナーは、アフリカ系の選手でした。彼らに、活躍の機会を開くのは好いことなのですが、高校スポーツに中にも、〈勝つこと〉のために、アフリカや中国やアジアの国々からの留学生を勧誘しているので、やがて小学生の〈スポ少〉の世界にも、優勝請負の外国勢が登場し兼ねません。

 もう、日本人だけで、チームを構成する時代ではなくなってきているのでしょうか。勝利の手段だけが、先走りしてしまい、有名選手ができ上がって、スポンサー料を得られ、プロになって莫大な収入を得させると言う、本末転倒な現象が起ってしまっています。あのナチスは、アーリア人種のゲルマン民族、優秀な血統による国民改造の帝国を作ろうとしたのです。ところが、第三帝国は崩壊し、残された国策の子たちのその後が、とても不幸だったと、歴史は伝えています。

 目的のために手段を選ばない動きで、スポーツの王道を定めようとしているのでしょうか。栄誉やお金のために、あくことのない競争が亢進して、何が何だかわからない迷路に入り込んでしまわないか、心配です。優秀な男性の精子と女性の卵子によって、優秀な子を生み、その子たちによって国を作るとは、造物者への冒涜でした。強者と弱者が共生することこそ、国のあり方、人のあり方に違いありません。

(ジャキー・ロビンソンです)

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