礼服

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 ある時、フィリピンから、小さな小包が届きました。送り手は、私たちの街で、しばらく働いていて、日曜日になると、私たちの事務所にやって来られていた方からでした。実は、ビザが切れていて、不法滞在が摘発され、強制送還されて、帰国されてから、しばらくたった時でした。

 それは、フィリピンで、公の席に出る時に着用する《礼服》の贈り物でした。” Thank you card “ が添えられていました。この方との出会いは、当時、学校を卒業して、今後、どうするかを待っていた長男が、家に帰って来ていて、街中で会い、事務所にお連れした6、7人のフィリピン人の中で、一番の年配者でした。私とほぼ同世代だったでしょうか。

 日本で働いて、祖国に残してきた妻子を経済的に支えていたのです。小柄で、穏やかな顔をされていた方でした。彼が、ポツリと話されたことがありました。ご自分のお父上のことでした。太平洋戦争時、日本軍はマニラ侵攻を遂げたのですが、その時、『私の父は、日本軍に殺されました!』と言われたのです。

 兵士たちは、軍の命令で行動をしていて、意に沿わないこともしなければならなかったのです。彼のお父上は、その犠牲者だったわけです。言いにくそうに、そう言われたのです。決して憎悪にもえて語ったのではありませんでした。

 私の父親は、軍命で、軍事軍需工場の責任者として、爆撃機の防弾ガラス用の原料の石英の採掘を、中部山岳の山の中でしていました。軍属として戦争に加担した責はまぬがれませんが、戦時下の第二世代同士が、戦後の出会いと、語らいでした。

 家内は、食事を作ってもてなしたのです。韓国からの方、中国からの方にも、食事で歓迎したりしていました。そう言ったことへの感謝があったのでしょう、それで思いの籠った礼品を送ってくださったのです。

 実は、その《礼服》は、小さ過ぎて着ることができなかったのです。どなたかに差し上げようと思って、タンスの奥に仕舞っておきましたが、中国行きの折に、どうしても処分せざるを得ず、申し訳ないことをしました。これは多くの人との出会いのひとコマです。

(フィリッピンの国花の「ジャスミン」です)

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