音の風物誌

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 音には、嫌われるものと、好かれる音がありそうです。また、昔あった音が、今はなくなってしまっているものがあります。その逆もありそうです。テレビや電子機器のなかった子どもの頃には、自然の音や、それに近い音が聞こえてきて、人工的な音は滅多に聞くことがなかったのです。

 それに季節季節に、特有な音がありました。風鈴売りに呼び声風鈴のリンリンの音、金魚売りや納豆売りやしじみ売りの呼び声、豆腐屋のラッパ、火事の半鐘、消防自動車の鐘の音、小学校の小遣さんの打ち下ろす鐘などがあったでしょうか。

 春以来、隣家の “ スズメちゃん(聞き違いで「涼音」ちゃんでした)” の泣き声が、時々我が家に聞こえてきます。外で顔を合わす度に、『うるさくてもうしわけありません!』と、お父さんもお母さんも、それぞれが恐縮して詫びるのです。『こちらは4人を育てましたので、親の子守唄の様なものです!』と言いたいのですが、『元気そうでいいですね!』と応えると、安心しておいでです。

 その泣き声や、保育園の園庭に響く子どもの声が、〈騒音〉に聞こえる人が多くなっているのだそうです。電車の中でも飛行機の中でも、赤子連れの乗車搭乗反対を言い出す人まで出てきました。そんなこと泣き声を上げなかった人だけが言えますが、みんな泣いたではありませんか。それで今があるのを忘れないことです。

 そう言えば、いつか住んでいた家の一階の若い婦人が、天井板を、ホウキの柄で叩いて、『うるさい!』と言ってたことがありました。数年前、日本情緒を味わいたくて、暖簾と夏の風物誌の「風鈴」が欲しくなってしまいました。中国の街の家の軒下に、風鈴を見たことはなかったのです。去年、通販で買って、一夏楽しんだのですが、引越しの荷の中にしまったか、被災した家に置いてきてしまったか、どこかに行ってしまいました。
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 縄文の世には、すでに、「土鈴」があったそうで、「鳴子(なるこ)」と同じ様に、田圃や畑で、作物を荒らす鳥や動物よけのために使われていた様です。昔、よく見掛けた鳴子や「案山子(かかし)」を見なくなりました。農薬の散布で、必要なくなったのでしょうか。そうなると、ちょっと怖くなります。

 麦の穂を手で揉んで食べると、ガムの様になって、芋飴とか水飴とか茶飴、ぶっ切り飴もあったでしょうか。みんな幼い頃の食感で、懐かしく思い出されます。子育て中の今頃の季節、夏休みに入ると、週日の早朝に、4人の子を乗せたオンボロ車で、静岡県相良の海に出掛けました。暗くなって、海の家が閉まる頃まで粘って、引き返した日が、よくありました。一夏に、何度出かけたことでしょうか。

 山道で、車の空冷のゴム管が敗れてしまい、スカスカと音がしてしまい、貰い水を繰り返し、水を足し足しして、やっと修理工場を見付けて、修理してもらったこともありました。ハラハラした子ども時代を過ごしたせいか、4人の子たちは、何があっても、けっこう動じないで生きられている様です。二人っきりの今、賑やかで暑い夏が懐かしくなってしまいます。

(〈フリー素材〉の風鈴と乗っていたのに似た車です)

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