乖離

.

.
常々思っていることです。心理学を学んでカウンセラーになろうとする人、社会福祉学を学んで心身に障碍(しょうがい)を持っておられる人の援助者になろうとする人、また様々な分野でのボランティアをしようとする人には、やはり独特の動機付けがあります。これは全ての人を言っているのではなく、そう言った傾向があるという意味でです。

例えば、身内の兄弟姉妹や家族や親族に、様々な必要を持っていますと、そうでない人に比べて、社会的な精神的な肉体的な弱者に同情的に、献身的になられる様です。それで職業選択についても、普通の会社勤めをするよりは、医療や福祉関係を選ぼうとする傾向が強くなるにかも知れません。

もちろん優しい心の持ち主で、どうにかして助けて上げたい、一緒に生きていきたいと思う方が多くおいでです。アメリカ社会は博愛精神が溢れるほどにあって、様々なボランテアが行われています。賀川豊彦は、神戸の新川という、当時のスラム街(貧民窟)に、1909年に入り込んで、窮民救済のために労し続けました。彼の生活ぶりを、一人の慶應義塾の学生が、次の様に記しています。

『・・・当時神戸で、新川といえば、市内最大の細民街を意味するように、いつのまにかなっていたのである。一年中乾くまもない低湿地帯だったこの辺は、すこしの雨でも、たちまちあたり一面水浸しになった。そうした不衛生な自然の環境に、畳が一戸あたり二畳から四畳ぐらいしかない棟割長屋が庇(ひさし)と庇をくっつけて幾十と並んで、その戸数は約2000戸(明治末)あったという。だから、狭い家には、一日中、陽があたらず、つねに暗く、2メートルもない狭い路地には、浅い溝から汚水があふれ出て、ところどころ水溜りをつくっていた。

そこには、何らかの労働災害で不具になり、働き場所から放り出された人たちや、失業者、寡婦、事業に失敗した人たち、生活能力を失って転落して来た人たち―その犠牲になった人たちが、さまざまな差別をうけ、何の保護もあたえられずに住みついていた。彼らは、にわか仕込みの技術で、たとえば、履物直し、皮革職人、手伝い、掃除夫、葬式人夫などをやって飢えない程度に糊口をしのいでいた。マッチ工場の職工や沖仲士のように、職のある者はいい方である。大半は、その日その日をようやくしのぐ生活であった。明治末年で約8500人ほど住んでいたといわれる。その後、新川の住人は、日増しにふえていったようだ。』

賀川は、困窮し、不衛生な生活をしている人を見捨てられませんでした。実は、この人は、「芸者の子」として誕生していました。そう言った生まれの背景の人が、みなさん同じだとは言えませんし、それを私は嫌っているのではありません。なぜなら、彼が選んだ境遇ではないからです。その様な生まれの背景も、社会的弱者に心を向けて生きていく、一つの動機であったかも知れません。

長じて明治学院や神戸の学校で学んでいますが、社会的な弱者への同情は強烈でした。今、どこの街にもある、「生活協同組合(コープ)」を始めた方でもあります。そう言った誕生の背景が、彼のやっていた社会事業との間には、強い関係がありそうに思われるのです。

これは、思想的にも言えそうです。精神的に辛い経験をしている人の洞察や考えは、今まさに同じ境遇にある人に受け入れられ、共感する様になります。『類は友をもって集まる』と言うのでしょうか、中国語にも、「物以类聚=wù yǐ lèi jù」と言う言葉があり、英語にも、“ Birds of a feather flock together “ と言う表現があります。同じ羽を持っている鳥は群れるわけです。

これには《強さ》もありますし、〈弱さ〉もあります。それで、自分と同色、同類の集まりから出て、全く違ったものの感化を受けようとする人もおいでです。『何か惹かれるものがある!』と言って惹かれていくと、けっこう狭量な世界に入り込んでしまい、広く、高く、公平に考えたり、結論づけたりできなくなることがあるからです。それで、無理に、そう言った風にするのです。

偏り過ぎた思考や行動から自由になることは、どうしても人には必要です。発想の転換と言うものは、自分の趣味や性向や傾向を、よい方向に変えさせてくれます。私も偏向傾向の考え方に囚われていましたが、そうでない考え方を理解することによって、偏執から出ることができたのです。

同じ傾向や思想の書籍ばかり読まないで、同意見の論者の論に傾倒ばかりしないで、全く違った観点や考え方に学んだことで、均衡が取れた様に思えるのです。病質者の思考は、素晴らしくとも、その方の根本の問題が露わにされると、『やっぱりそうだったのか!』と思えるのです。思想や思考の形成期や背景に、気をつけなければいけない点です。

教育論で優れた方が、その論とは裏腹に、自分の子育てを放棄していた事実を、後になって知らされて、私は、そう言った考え方をすべきだと軌道修正したのです。その人の思想と、その人の実態とが、もし大きくかけ離れているなら、どんなに優れた思想でも論でも、受け入れない様にしたのです。一度慣れ親しんだものから、出るのはけっこう骨ですが。

賀川豊彦についても、そうでした。戦時下での彼の変節、戦後の無反省を知った時、いかに素晴らしい社会事業家であったとしても、『どう言う人だったのか?』を知って、人物感も偉業も、見方を変えてしまったのです。幾度もノーベル平和賞候補になりながら、受賞に至らなかった理由が、その辺にあったのかも知れません。もちろん、だれにでも弱さがあります。『何をしたか?』、『どんな思想だったか?』が、《人となり》と大きく乖離(かいり)していたら、気をつけるべきだと学んだのです。あくまでも、これは私の意見であります。

先日、この生活協同組合の会員になり、自転車でちょっと遠いのですが、COOPに出掛けて買い物を始めました。もう一つ、宅配サーヴィスの「よつ葉生協」にも入っていまして、けっこう好い物が精選されていて、食が安全に保たれそうで感謝しています。これは主夫の弁です。

.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください