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2010年5〜11月まで、上海で、「世界博(上海国際博覧会/世博shibo)」がありました。その開会のセレモニーで、谷村新司が、「昴(すばる)」を歌ったのです。
1 目を閉じて何も見えず
哀しくて目を開ければ
荒野(こうや)に向かう道より
ほかに見えるものはなし
嗚呼(ああ) 砕け散る
運命(さだめ)の星たちよ
せめて密(ひそ)やかに
この身を照らせよ
我は行く 蒼白(あおじろ)き頬のままで
我は行く さらば昴よ
2 呼吸(いき)をすれば胸の中
凩(こがらし)は吠(な)き続ける
されど我が胸は熱く
夢を追い続けるなり
嗚呼 さんざめく
名も無き星たちよ
せめて鮮やかに
その身を終われよ
我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ
Mmmm……(ハミング)
嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を
嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴
これ以前に、谷村は、上海の音楽学院に招かれて、教授として教えてきておりました。この「昴」は、谷村と同世代の中国の人たちの圧倒的な指示を受けていますが、若い人たちにも、大変人気な日本人歌手、音楽家として評価されています。
『この日本人の先生は、本物の音楽を教えてくれた。本物の音楽は、心で歌われ、心を響かせるものだ。それに比べ、万博開幕式に出演した中国人のスーパースターたちには、すっかり失望した。自分が感動していない歌で、人に感動を与えられるわけがない。谷村先生アリガトウ!』とまで、ある方は言っていました。
私は、その日、華南の街の学校で、日本語を教えていたのですが、学生さんが、次の様に言っていました。『あんなお爺さんが、精一杯の声で歌っているのは素晴らしいです。私たちの国では老人が、人の前で歌を歌い、そんな風に溌剌とすることなどないからです!』と。
谷村は、この時、62歳でしたし、私は66歳だったのです。『自分たちの国に来て下さって、中国人を愛し、仕え、教えてくださるのに感謝してます!』と私の学生さんも、感謝を表してくれました。かつて日本がしたことにしたら、感謝など受ける資格などはなく、私は、ある面で、《償い》の気持ちで、学校や倶楽部で奉仕させていただいていただけでした。
それにしても、「世博的开幕式kaimushi(開会式)」で、日本人の歌手が招かれて歌ったことに、驚かされたのです。実行委員会が、そう言った「選び」をされた、その懐の深さが感動的でした。果たして逆に、そう言ったことが私たちにはできるでしょうか。
(上海の世界博の会場です)
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