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このところ一ヶ月ほど、〈虫〉が騒ぎ続けて、止むに止まれず、先週、市内バスに飛び乗って出掛けてしまいました。何の〈虫〉かと言いますと、「カツ丼虫」でして、仕切りに食べたくなってしまったわけです。

在華の折にも、時々、この〈虫〉が騒ぎ始めて、困ったことがありました。バスに乗って出掛けても、煮ても(?)似つかない〈カツ丼もどき〉では、〈虫〉が収まらないのです。子どもの頃に、父が食べさせてくれた記憶が、ムズムズと騒ぎ出したからなのでしょう。

東京オリンピックが開催された年、1964年に開店した「食堂」を、ネットで見付けたのです。ここの市内バスは、利用者が少なくて、行きも帰りも私ひとりの貸切でした。昼前に着く、ちょうどの便があって、それに乗ったのです。勇んで入店し、『カツ丼ーン!』と注文したのです。市の北の外れで、過疎化も進み、コロナ禍もあり、一組の客と私と、しばらくしてやってきた男性客だけでした。

ご多分に洩れず、近づかない距離に席をとって、座っていました。切り盛りが上手なのでしょうか、ものの五分もたたずの『おまちどうさま!』でした。農村地域にあって、隣町への幹線道路沿いで、トラックの運転手さんが常連なのでしょう。体を使う人の濃いめの味で、爺さんの私には、ちょっと濃いめでした。が、やはり人気店とあって、美味しかったのです。開業以来のたれに、55年も継ぎ足しているとかで自慢の味に偽りはありませんでした。

また6月1日、『身の回りの世話をしてくれるので、休ませて上げたい!』と家内が言って、この正月に家族会をした施設に、二泊三日のお泊り遠足に行ったのです。コロナ緊急事態宣言明けで、営業を再開した初日で、私たちの他には、どなたもいませんでした。借り切り状態で、二人っきりでも、好い賄いもしてくださって、好い時を持てたのです。

その余韻と甘えでの「カツ丼」でした。『たまに出掛けて!』と言われて、その気になっています。家内が、長らく飲んできました、痛み止めも、だいぶ前から4mm錠から2mm錠に減り、毎日が二日に一回の服用薬になってきています。その他の薬も様子待ちで、休む様になったりして、何となく安心がやってきているのです。発病以来、一年半が過ぎ様としています。みなさんの応援と、お支えに感謝しております。ところで、このカツ丼は、今のところ家内には、味が濃過ぎて一緒には無理の様です。いつか一緒できるでしょうか。

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