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「三十一年前」に、世界を揺るがす様な事件が起こりました。私の父が青年期の一時期を過ごした国ででした。私たちよりも一世代若い多くの青年たちが、その騒動の渦中で亡くなったのです。自分たちの国の指導者の死を追悼した集いの中ででした。
とても悲しかったのを思い出します。その国に、2006年に出掛けました。六十を過ぎていましたが、留学のために、家内と二人でまいりました。一年後、出会った方の推薦で、大学の外国語学部の日本語教師として就職したのです。
その時の同僚で、私のお世話をしてくださった方が、その運動に加わった学生の一人だったのです。お子さんを連れて、教員住宅のわが家に、遊びに来られ、日本の大学院の博士課程で学びたいと言っておいででした。不遇の中を過ごしておいでだったのです。
私の30数年前は、腎臓を悪くして、血液透析をしていた次兄が、体調を崩していて、大変な時でした。それで、私が提供者となって、腎移植の手術を、東京の病院でした後でした。
日本の社会は平穏でしたが、その国は、騒然として、ニュースがひっきりなしに、その状況を伝えていました。私の60、70年代の青年期も、条約の締結の反対の学生運動が盛んでした。国を憂える青年たちが、将来の不安に駆られて、世界中で蜂起していました。
あの手術後、次兄は、職場に復帰し、定年延長で働きを続けできました。今は、悠々自適な時を過ごしています。私は家族のもとに帰って、それまでの生活に戻ったのです。そう30数年もの歳月が過ぎて、今があります。《落ち着いた市民生活》ができることが、今も私の願うところです。
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