破屋

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南信州の山間部で、山の斜面に、へばりついている様な集落があって、当時、飯田に住んでいた娘が連れて行ってくれたのです。『よくも、こんな辺鄙で、畑地のないところで生活してきたものだろうか!』と驚いたことがありました。

どうみても、〈不便〉に思えて仕方がありませんでした。人とは、住んでみると、そして住み慣れると、ほかに移り住むことなど考えなくなっていくのでしょうか。今になると、あの番小屋の様な家に住んでみたい気持ちがしてくるのです。人は本来、自然を住処としていたからなのでしょう。

自分が育ったのも山地でした。戦時中、山奥で、戦闘機の防弾ガラスを作るための石英を掘り出すため、軍命をうけた父が働いている時に、私は生まれたのです。戦争が終わってから弟が同じ家で生まれています。熊や鹿や猪の出る山奥でした。

そしてその原石を運ぶ策動(ケーブルカー)の終着地に、集積場と事務所があって、そこを宿舎にして住み替えたのです。もう少し山奥には、満洲帰りの家族の住む部落もありました。そんな山奥でも小学校があって、分教場もあったりで、日本の教育は、そんな山奥の子にも、機会を与えていたわけです。

山の中で、木の実を摘んでは食べた記憶があります。一番美味しかったのは、秋に熟した「木通(あけび)」でした。うす甘い上品な味の木の実でした。ヤマメの魚影を眺め、冷たい沢の水に足をつけ、空気も鳥の鳴き声も、梢を揺する風の音も、原始そのものでした。

今のコンクリート造の家が、〈終の住処〉になってしまうのでしょうか。最近、引越しの虫が、また騒ぎ出してきて、次の街か村に狙いを定めているところです。叱られて、藪の中に、藁を集めて寝入った、あの時の土や枯れ草の匂いが、漂白の思いを刺激しています。芭蕉の「奥の細道」の冒頭に、

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
よもいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋にくもの古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。
ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

  草の戸も 住替る代ぞ ひなの家

面八句を庵の柱にかけ置く。

とあります。江戸の随分と辺鄙な所に、芭蕉の庵があって、21世紀の今でも、江戸とは思えない所に住んでいたのです。ああ、この〈騒ぐ虫〉をどう抑えられるのでしょうか。もう五月が、過客の様に行って、六月になってしまいました。

私のペンネームは、〈寄留者〉です。華南の街に住んでいた時は、それに〈大陸の〉を冠して、呼んでいました。〈便利さ〉よりも、『もっと人間らしく、つまり自然と一体になって生きて行きたいな!』と思うこと仕切りです。今度は、「破屋(はおく/やぶれや)」に、〈開拓民〉と呼ばれて住んでみたいのですが、それには年齢制限があるでしょうか。
 
(木通(あけび)の花です)

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