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落語の醍醐味は、「間」にあるのではないかと思っています。話の間に、短い沈黙を置くのです。『次はなんて言うのか?」』を考えているのでも、次の言葉に期待を持たすためでもなさそうです。なんともいえない、潤滑油のような「間」なのです。

結構、長い話をするのですから、たまには〈ど忘れ〉だってありそうです。話が詰まってしまうのです。それを、「間」にして、上手にやり過ごしています。

噺家(はなしか)で名人と言われた六代目の三遊亭円生は、6才の時に、20ほどの演目を持って、高座に上がるほどだったそうです。通常、真打は、30~40年の間に努力して100席ほどが普通なのだそうです。ところが円生師匠は、何と300席を、いつでも、どこでも自在に演じることが出来た方だったそうです。『え~一席、ばかばかしいお話を・・』と、よどみなく話し出す落語なのですが、それだけ、たゆまぬ研鑽を積まれた円生師匠に敬意を覚えさせられたのです。

この円生師匠でも、噺を〈噛む〉ことが、ままあったのです。でも上手に、次に続けてしまうのです。それも噺家の手連れ(てだれ)の技なのでしょうか。それでも、落語家のみなさんが、決して言わない言葉(?)があります。聞きづらい『えー』、『あのー』です。その代わりに、「間」があるのかも知れません。

〈間抜け〉と言われたことが、私にもあります。これを、“ 笑える国語辞典 “ では、『間抜けとは、おろかで要領が悪いこと、また、そういう人をいう。「間」とは、物と物や音と音に挟まれた「抜けている」部分を意味し、「抜けているところ(間)」が「抜けて」いるとは、「抜けているところがさらに何かが抜けている」のか、「抜けているところがちゃんと抜けていない」のか、いまいちよくわからない言葉だが、要は「抜くべきところ(間)」の抜き方が悪くて、物と物や音と音の間隔がアンバランスになっていることをいうらしい。もっとも、語源についてあれこれ考えなくても、間抜けなやつというのはふたことみこと言葉をかわせばすぐ判別できる(自分が間抜けだったら、わからないかもしれないが)。』とありました。

人生にも、この「間」があります。今回の騒動で、強制的な「間」を、私たちは持たされたのですが、それを、〈与えられた間〉と理解したいのです。次が輝いたり、落ち着いたり、楽しくしてくれる「間(余裕)」になります様に!

("pitarest"の裂け目(間)に生える雑草です)

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