生かされたこと

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人の願いのうちには、後世に、〈自分がいたことの証〉を残しておきたいと言う願望があるのだそうです。そういえば、一国の大統領や首相を務めた方は、将来の叙勲の前とは別に、在任中の国家への貢献を形で残したいと願う様です。

名を残すだけではなく、例えば、条約の批准、公社民営化、憲法改正など、『あの領導は、こんなに偉大な事業を成し遂げられたのです!』という称賛を、自分と家族、そして一族が受けることを切望するのです。

秀吉は、聚楽第や大阪城の造営や、朝鮮出兵で国土の拡張、豊臣一族の繁栄と栄華を求めましたが、六十年の生涯を終え、『難波のことも夢のまた夢!』と思い返して、何一つ持つことなく、棺が彼を納めたのです。あの栄誉や奢りはどこに行ってしまったのでしょうか。関白職を受け継いだ姉の子・秀次は切腹させられ、秀頼は自害、豊臣は露の様に失せたのです。

次いで天下を収めた徳川家康は、百家争鳴の戦国の世を平定して、長期政権の基礎を据えましたが、七十五歳で亡くなり、久能山と日光に、亡骸は葬られました。家督を息子や姻戚に譲らねばなりませんでした。まさに栄枯盛衰、人の命は、かくも短いものなのです。富と地位を得ても、王も将軍も大統領も首相も、寿命には勝てませんでした。

『虎は死んで皮を留める!』のだそうですが、いったい、自分は何を残すのか、考えてみましたが、何一つ見当たりませんでした。内村鑑三は、『金を残せ!』そうできなかったら『事業を残せ!』、それもできなかったら、『思想(書)を残せ!』と言いました。歴史を見て、そうできた人は、ほんのわずかでした。そして、もう一つ、これなら誰にもできることを上げたのです。『勇ましく高尚な生涯を生きよ!』とです。

私の恩師は、書を残し、弟子を残しました。私の書庫には、その本がきちんと納められていて、時々紐解きます。ところが私は、一冊の本も著すことがありませんでした。また一人として弟子を持つこともありませんでした。さりとて、勇ましくも、高尚でもなく、凡凡たる生を積んできただけです。

この凡庸とした生を、どう言ったらよいのでしょうか。自分で、自分の生を肯定でき、感謝でき、満足を覚えるなら、それでよいに違いありません。欠点の多い私を、多くの方たちの忍耐や激励や諭しが与えられて、『生きよ!』と声を掛けてくださり、他方面にわたって助けてくださいました。

一人の妻の夫であったこと、四人の子の父であったこと、幾らかの学生の教師であったこと、そう生きられたことを感謝しています。100まで生きたいのですが、こればかりは自分では決められません。ただ定められた来た道を、さらに前に向かって、一歩一歩と行くのです。生きたこと、いえ《生かされたこと》で満ち足りたいのです。

(「アマナイメージズ」の張子の虎です)

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