春三月

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大学生だった上の兄が外出して、留守の時に、兄の部屋の壁にかけてあった学生服を、中学生の私は、こっそり着て、また角帽もかぶって家を出て、街の目抜き通りを歩いたことがありました。弟にとって、上の兄も下の兄も、《憧れの的》だったのです。何かにつけて真似をしてみたかったからです。この兄は、東京六大学の有名校に通い、花形の運動部に所属していたのです。

喋り方も、学校での話題も、歩き方も何もかも、兄たちの真似でした。そんな風にして、兄の様になりたかったからです。これって〈弟の心理〉なのかも知れません。アメリカン・フットボールのレギュラー選手で、《Rice Bowl》という、当時、東京と関西のリーグの優勝校同士の対抗戦が、正月に行われていて、兄は、そのスタメンで活躍したのです。

弟の私だけではなく、三人にとって、そして父の自慢でもあったのです。そして一流企業に就職し、静岡県下の工場勤務をしていました。県のラグビーチームに誘われ、そこでも活躍していたのですが、草薙の競技場で、試合中に負傷してしまったのです。頭を打って、一週間ほど人事不省の大怪我でした。父は会社を、人に任せて、付きっきりで入院先の病院で、兄の世話をしていたほどです。

怪我が癒えて、東京本社の営業部に転勤になり、将来を嘱望されたサラリーマン生活を送っていました。ところが、父の期待を裏切って、自主退社してしまったのです。その決心は固く、家族も会社の方も驚きでした。新しい生き方を、兄が見出したからです。それは潔い身の振り方でした。それ以来、その《聖職の道》を全うし、今は引退しています。

この兄が、3月15日に、《八十歳》になりました。生死の境を超えて、臨死体験までし、また自動車の事故にも遭いながらの〈八十〉なのです。その朝、私は、メールで「誕生祝い」を、次の様に、兄に送りました。

『誕生日おめでとうございます。いよいよ大台に上がったわけです。
ますます健康が支えられて、喜びが増し加えられます様に願っています。
兄でいてくれ、大変助けられて、今があります。
ありがとうございます。
今は亡き両親にも感謝ですね。
でも再会の望みがあります。
内なる人が強くされます様に!
おめでとうございます。』

若い頃に運動部での怪我が多く、今の兄は満身創痍の体ですが、『散歩に励む日を送っている!』と、返信がありました。これも一つの、兄独自の人生なのです。兄が結婚して、孫ができた時、父が嬉しそうに、その孫を抱いていた顔が思い出されます。父の期待を裏切りましたが、『俺の子が聖職に就くとは!』と、別の感動を、兄が父に与えたのは事実でもあります。兄を超えることは、私にはありませんでしたが、兄に殴られた日もありながら、大変に助けられて生きてこれているのです。

『兄弟は苦しみを分け合うために生まれる』

と、愛読書にあります。すぐ上の兄は、年子ですから、来年、弟と私は、数年すると、大台に到達することになります。喧嘩に明け暮れた四人が、仲良く交わりを続けているのを知ったら、生きていたら父も母も、あの頃住んでいた街の人たちも喜ぶに違いないと、そう思っている春三月です。

(「マンシュウキスゲ」です)

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