恨みを超えて

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「恨み骨髄に徹する」、人の感情の中で、最も激しく破壊的なのが、「恨み」でしょうか。

父親の寵愛を一身に受ける弟に、十人の兄たちが抱いた感情が、「恨み」だったとあります。これは、イスラエル民族の族長たちの、子どもの頃から青年期に至るまでの出来事なのです。弟だけへの父親の偏愛に業を煮やして、ついには、弟殺しを企んでしまいます。この民族の歴史の中に、そう言った「恨み」が横たわっているわけです。

太平洋戦争中、フィリピンに侵攻した日本軍兵士によって、高地で仕事に従事していたアメリカ人夫妻が、殺害されました。情け容赦のない残忍な処刑でした。その両親の悲報を、お嬢さんが聞きました。「恨み骨髄に入る」のだろうと思われたのですが、彼女は違いました。日本軍の兵士の捕虜収容所に出かけて、ボランティアを始めたのです。父を殺した日本軍の捕虜の戦病兵の傷の世話のためでした。

戦後になって、この女性のことが記された書を読んだ一人の人が、「敵をも赦す」、その思いと行為に甚く感動して、人生が変えられてしまうのです。その体験話ーを、東京の中野で、直接聞いたことがありました。まだ二十代の私でした。この方は、『本十二月八日未明、我が軍は米英と戦闘状態に入れり!』で始まった、太平洋戦争への真珠湾攻撃の攻撃隊長の淵田美津雄でした。

『奇襲攻撃に成功せり!』と打電した《真珠湾の英雄》の淵田美津雄の戦後は、手の裏を返す様な取り扱いを受けて、故郷の奈良の村に蟄居して、畑を耕す日を送ったのです。そんな中での変化でした。彼は、アメリカを横断しながら謝罪の講演の旅をしたのです。
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07 Dec 1941 — Mortally Wounded and Sinking — Image by © Bettmann/CORBIS

恨まれるべき身の自分を、鼓舞して、アメリカ合衆国で公演旅行を繰り広げ、謝罪を訴えたことも、その講演旅行を受け入れたアメリカの社会も、「恨み」を、「赦し」に変えられるものがあったことにも、驚かざるを得ません。ソウルのバスの中で、『あなたのバス代を払わせてください!』と言ってくれた青年の顔が思い出されて仕方がありません。息子の大学進学時に、大金の援助をしてくださった、日本で生まれ在日本の友人もいます。確かに「赦し」は、難しいのは分かります。それが、人を縛り付けている歴史が、確かにあるからです。赦さない限り、赦されない限り、何も生まれてこないからです。

南北に分断された朝鮮半島、すべての韓民族は、南北を平和理に統一したいことでしょう。三島のある家で、一緒に食事をした平壌(ピョンヤン)出身の方が、『何時か、対立と遺恨を超えて、南北統一がなったら、平壌陸上競技場で、大きな集会を開いて、そこでお話をしたい!』と夢を熱く語っておられました。この方は、もう亡くなられたと聞いています。

(その「平壌競技場」、真珠湾攻撃の記念写真です)

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