銀座四代

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 学校の裏門の近くに、都電の停留所があって、授業の休講で、銀座方面行きに飛び乗って、銀ブラを何度かしました。もう運賃がいくらだったかは忘れてしまったのですが、〈チンチン電車〉と呼ばれていたのです。帰りは、有楽町から山手線に乗って東京駅に行き、そこから中央線に乗って家に帰ったと思います。

 東京の郡部は田舎で、学校は、山手線の中にありましたが、〈華の東京〉の外れで、渋谷や新宿は身近に感じたのですが、銀座は別格でした。やっぱり〈お上りさん〉で、なるべくキョロキョロしないですまし顔で歩いても、田舎者の感じでした。

 一度だけ、帝国ホテルに一泊したことがありました。知人が部屋をとってくれて宿泊させてもらったのですが、身にそぐわない感じで、ちょっと高級過ぎて身の置き所がありませんでした。ビジネスホテルの広さがちょうど安心できるのです。

 そんな東京に、コロナの感染者が激減したので、昨日は出かけたのです。掛り付けの歯科医に、歯を診てもらうためでした。やっと口の中が落ち着いて、その歯科医院の近くに友人がいて、事務所兼教会に、彼を久しぶりに訪ねたのです。浅草の老舗の鰻屋さんの支店に連れて行ってくれ、何年ぶりでしょうか、「鰻重」を頂いてしまいました。持つものは友で、友情に感謝したのです。

 もう銀座なんて、何年も行っていませんし、用がないからです。銀座を横切って、都の事務所に、仕事で何度か出かけたり、父と教文館の社主に会いに行ったことがあったのを思い出します。

 ここ栃木市にも、〈銀座通り〉があったのですが、郊外に大型店が出て、先日は、アーケードの取り壊しが行われていました。ますます、地方都市でも、昭和が遠くなり、昭和を感じさせる建物などが老朽化してきています。ここは気取らない街で、気に入っています。川の流れの瀬音を聞きながら住まえるのは情緒があって、快適なのです。

(江戸期、明治期、昭和戦後期、現在の様子です)

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