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「団欒(だんらん)」、暮に実家に帰って来た娘たちの家族と、8人で、正月気分を味わっています。お雑煮、おせち料理、温州蜜柑を、娘たちが用意してくれて、その味に馴染んで過ごしてきた「正月」を、肩を触れ合う様な狭い洋間に、テーブルと炬燵を囲んで、和気藹々(わきあいあい)で迎えています。
口から食物を摂れない家内が、窮余の治療で、首の血管から、栄養剤を入れるようにされた姿を見て、家内の最期を予測した私にとっては、この元旦に、テーブルで、娘たちの作った「お雑煮」を口に運んで、『美味しい!』と言っているのを眺めて、感無量です。
鶏肉、小松菜、三つ葉、醤油鰹節味の祖父流、関東風仕立てで、食べて育った娘たちが、同じ味を受け継いでいるのです。ヨーロッパ移民のアメリカ人家庭で育った二人の婿殿たちが、それを上手に箸を使いながら、たづくり、なます、松前漬け、数の子、蒲鉾、伊達巻、昆布巻きなども、躊躇しながら口に運んでいました。さらに二人の孫たちも、文句なしで食べていたのです。
孫たちは、イワシの丸干が並んでいるテーブルを囲んでいました。幼い日に、スーパーの魚売り場を、鼻をつまみながら走り抜けていた初孫が、高校生になった今、家内が焼いた干物の匂いを懐かしんでいる母親を横目で眺めながら、昨晩の食卓を、鼻をつまむこともなく囲んでいたのです。
元旦には、私の弟が、姪の運転で、この家を訪ねてくれ、お昼を一緒にし、夕食には、元旦営業のスーパーで、高級ずしと有名店のシュークリームを買ってくれて、それに娘たちの料理を加えて、「新年会」を持つことができました。弟と元旦に、同じテーブルを囲むのは、半世紀ぶりになるでしょうか。
昨日は、巴波川の河岸を、一緒に散歩をし、婿殿や孫たちの放る餌に群がる鯉や鴨を相手にしながら楽しんでいる様子を、家内が微笑みながら眺めていました。歩けるのに、婿や孫に、車椅子を押してもらって、私には見せない満面の笑みを浮かべていたのです。
お昼は、スーパーの弁当売り場で、それぞれの好みに応じて、弁当やサンドイッチや唐揚げを買って、フードコートですませたのです。婿たちが、前の番に美味しく食べたシュークリームが気に入ったのか、また買ってくれて、たい焼きもデザートにしてくれて、一緒に過ごしました。
実に感謝な時を、共にしながら、「小さな幸せ」を、最大限楽しんでいる家内は、満ち足りて、心溢れております。明日は、二人の息子が家族で訪ねて来ます。日光の近くの宿泊施設で、泊りがけで、過ごす予定になっているそうです。そして明後日は、ついぞしたことのない、《家族写真》を14人で、明治五年開業の老舗の写真館で撮ることにしています。これは家内の《たっての願い》によります。
こんな素敵な「2020年」を、共に迎えられて感謝でいっぱいです。娘たちは食後、孫たちの要望で「ユニクロ」に行きましたが、先に家内と家に戻った私は、また〈転寝(うたたね)〉をして、正月早々、家内に叱られてしまいました。
(“アートバンク”の正月風景です)
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