ひと区切り

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先週、この写真の「壁時計」 を買いました。小諸の工芸家の個展が、友人の息子さんのお店の一角で開かれ、そこに展示されていたものに、見た瞬間、《一目惚れ》をしてしまったのです。心がときめいたわけで、ちょっと高価でしたが買い求めてしまいました。振り子を左右に振りながら《時を刻む》壁の時計は、家内と私の《十三年の時々》を蘇がえさせている様です。

この週初めに、その《13年間》を過ごした、大陸中国に、家内の治療のために帰国してから、9ヶ月ぶりに戻ったのです。飛行場を出た瞬間、慣れ親しんだ佇まいもにおいも風も、ただ懐かしさがこみ上げて来ました。友情を交わしたみなさんに再会し、彼らに家内からの便りとビデオ映像を見せて、物心両面で助けてくださった事を感謝するのが、今回の訪問の第一の目的でした。

そして、もう一つの目的は、住んでいた家の整理でした。13年間の生活のにおいの染み込んだ物を、差し上げる物、持ち帰る物、捨てる物とに分別したのです。捨てづらい物が多くありましたが、一つ一つに思い出の籠もった物を捨てるには、4泊5日の日程での滞在でしたから、実に辛いものがありました。頂いた物が多くて、仕方なく涙を飲みながら捨てました。手に取って郷愁にひたる余裕はなかったからです。
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人生そのものが旅で、自分がこの地上の寄留者であることを認めて、何一つ持って、この世を出ることができないのを思い出し、決断して多くを捨ててしまいました。2個のスーツケースだけを手にして、この正月の急遽の帰国でしたので、残した物の13年分だったのです。でも帰国した地でのもうしばらくの生活のために、必要な物だけを持ち帰るのですが、その街と日本とを行き来する友人が、一つづつ持って来てくれるというので、お願いしてしまいました。

片付けの合間に、4回も《歓迎の宴》を設けてくださったのです。そこで9ヶ月の不在を詫び、家内の奇跡的な闘病を伝えて、支え続けてくださった友人たちと、一緒に時を過ごしました。 入院中の家内の世話を、喜んでしてくださったみなさんでした。日本の様に完全看護ではない、あちらの病院で、24時間、絶え間無い世話を交代でしてくれ、また見舞ってくださり、経済的にも助けてくださったみなさんでした。《旧交を温める》とは、そのことでしょうか。

異口同音に、『明年你们一定回来吧mingniannimenyidinghuilaiba/来年戻って来てください!』とみなさんに言われ、そして『こちらに帰って来たら、私の家に住んでください!』と何人かの方に言われたのです。 それで、『きっと家内と帰って来ますね!』と、私は返事をしました。

家内と私が、その華南の街で刻んだ時は、生涯の最良の年月でした。父が戦時中に、軍属として、爆撃機の部品工場の責任者としての立場で、旧軍に仕えて、戦争協力をしたことへの「謝罪」のために訪ね、定住し、倶楽部の中で共に過ごした年月なのです。そんな父の子である私を「好朋友haopengyou」とし、そんな私の家内を「師毋shimu」と呼んで、さらに『你们是我们的一家人nimenshiwomendeyijiaren/貴方たちは私たちの家族ですよ!』と呼んでくれもしたのです。

あの家内の省立医院への入院、そして日本での治療に、そして今でも、心だけではなく、物質的にもこの友人たちが支え、助けていてくれるのは、望外の恵みです。《愛される》と言うことが、どの様なことなのかを実体験した年月でしたし、今回の帰郷の経験でもありました。

ひと先ず、私たちの大陸での生活に区切りをつけて、昨夕帰宅しました。長男が、休みをとってくれて同伴してくれたのです。彼にとって二度目の訪問は、両親の実質的な帰国の助けでした。長女も、家内の世話のために、休暇をとって帰国してくれ助けてくれたのです。

そして《後ろ髪を引かれる》という想いも、どんなことかが分かった時でした。この友人たち、尊敬するみなさんが、空港まで送ってくださり、見送ってくださったのです。13年、12年の思い出も、心の倉庫に仕舞い込んでの帰国でした。これからも、この部屋の壁時計は、休まずに時を刻んで、戻って帰れる時を知らせてくれることでしょう。

(壁時計と12年を過ごした街のカジュマルの木です)
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