栃木案内

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私たちの家の台所の窓から、高架になった鉄道線路が見えます。と言っても、その線路の上を走る電車の車体が見えるのであって、その電車が線路の上を走っているわけです。無理して背伸びしますと、「栃木駅」も見ることができる位置に、家があります。

ここから見えるのは、東武日光線と東武宇都宮線の上下線、JR両毛線の上下線の三車線が、けっこう頻繁に行き来しているのです。私たちが、おもに利用するのは、JR武蔵野線や地下鉄に接続している東武鉄道です。普通列車ですと、栗橋とか東栗橋で乗り換える必要がありますが、特急に乗りますと、新宿や浅草に乗り換えなしで行くこともできます。

この東武日光線は、浅草から東武動物公園前までは、伊勢崎線で、そこから分岐して、日光や鬼怒川に、そして会津まで繋がっている路線なのです。1929年4月1日の開業です。昭和初期に東京浅草と日光を結んだわけです。

一方、旧国鉄のJR両毛線は、宇都宮と群馬県の新前橋駅を結んでいます。以前、両毛線の大平下駅で電車を待っていた時、沿線の駅舎の清掃や管理をしておいでの年配の男性に話かけましたら、両毛線の由来を話してくれました。宇都宮も前橋も、旧陸軍の連隊があって、軍用目的で敷設し開業されたのだそうです。

今では沿線の人口が減ってしまい、利用客も激減しているそうで、こう言った路線は、廃線とか第三セクターの経営に移されていくのでしょうか。その方は、かつての賑わいを覚えておいでで、現状を嘆いていました。やはり若者は一旦都会に出たら、戻って来るのは難しくなってしまうのでしょう。

渡良瀬川や利根川の大河川を渡ると言うのは、地方と都会の分断の役割をしていて、鉄橋を渡って仕舞えばなんてことはないもですが、心理的に遠さを覚えてしまうのでしょうか。そう言えば、多摩川の流れのそばに、父の家がありましたから、都心と三多摩は、京王、小田急や東急などの私鉄があって、距離的には近いのに、渡った側は随分と田舎かな感じがしてしまうのと同じなのでしょうか。
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それは江戸幕府が、大きな主要河川の架橋を許さなかった、都市防衛の後遺症なのかも知れません。でも、この田舎の感覚が、私にはいいのです。押しこくられたり、引っ張られたりすることのない行動ができ、自分の意思で動けるのがいいのです。水や空気は清く、吹く風は心地よく、空も近いし、夕焼けが綺麗なので、今日を明日につなげられる感じが強く感じられます。

まだ県都・宇都宮に行ったことがありません。そこは50万都市だそうで、東京首都圏では大きな街なのです。行く用がないからで、どうしても南志向で、東京の方に、足も思いも向いてしまうのでしょう。息子たちや兄弟や友人たちが、そこに住んでいるのですから仕方ないのでしょうか。表彰してくれることがあったら、借りたモーニングでも着て、県都に行くのですが、そんな話はなさそうです。

地震が二、三度ありましたが、『自然災害の少ない街なんです!』と、友人は自慢していましたし、住み心地は抜群で、感謝で思いはいっぱいです。

(両毛線の大平下駅の近く、かつての栃木駅です)
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