脱走

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“ JET( 語学指導等を行う外国青年招致事業 The Japan Exchange and Teaching Programme)” と言うプログラムで、高校英語の補助教師として、長野県の南信の公立高校で、娘婿が教えていました。通勤の帰り道で、捨て猫を見捨てられないで、家に連れ帰って飼い始めたのです。そんな境遇の猫を、一匹ならずも二匹も飼っていたのです。3年間教えた後に、帰国することになって、その二匹の猫の世話を、私たちが頼まれたのです。猫嫌いの私でしたが、それを承知したわけです。

飼っている間に、慣れたのでしょうか、可愛くなっていってしまったのです。迷惑をかけないため娘婿は、不妊手術を施していました。猫社会では、そう言った猫は仲間はずれと、攻撃の対象で、よく悲鳴をあげて逃げ回っていました。それで、家に閉じ込めて飼っていたのですが、時々、〈脱走〉をしたのです。

猫も、広い世界へ出て行きたいのだと分かったのです。16才の時、作詞が永六輔、作曲が中村八大で、「遠くへ行きたい」と言う歌が、若者たちの間で歌われていました。

知らない町を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい
知らない海を 眺めていたい
どこか遠くへ行きたい
遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

愛し合い 信じ合い
いつの日か 幸せを
愛する人と めぐり逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

青年期の特徴の一つは、現状への不満が強い時期なのでしょうか。〈今〉と〈此処〉から飛び出したい誘惑があります。規則や伝統に縛られたくない思いがあって、 “ タッカー(オスの方の猫の名前です)”の様に、〈脱走願望〉があるのでしょう。遠くに行って仕舞えば、時計の針の様に、同じ枠の中で、来る日も来る日も、同じ動きしか続けなければならない様な生活から抜け出られるからです。

まだ売っているのでしょうか、交通公社の「時刻表」ですが、これを見るのが好きでした。知らない駅が、線路の続きにあって、降りて駅頭に立って、その辺りを眺めてみたくなるのです。今、わが家から見える鉄道線路の「両毛線」も「東武日光線」も「東武宇都宮線」も、かつて一度も乗ったことはありませんでしたし、乗っても限られた駅しか旅行していないのです。

日光線、鬼怒川線を乗り継ぐと、「白虎隊」で有名な会津に行くこともできるのです。両毛線で小山に行くと、水戸にも行けます。同じ小山から、また栃木からも、湘南(宇都宮や新宿)ラインで小田原までも行けます。もちろん大船や江ノ島や逗子にだって行けるのです。でも、そう言ったはやる気持ちを納めて、今の責務を果たすことを第一にしている、この8ヶ月です。

(隣県福島の奥会津の風景です)
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