危険な株

   
  『若者は安全な株を買ってはならぬ!』という言葉を、どこかで見付けたのは、まだ学校に行っていたときで、就活をしていた頃だったと思います。『将来の安定を約束している職業の選択はすまい!』と決心して、その年も暮れてしまいました。年が開けて、1967年の正月、中学校の《歴史クラブ》で指導してくれて、分倍河原や国領や日野で、古代の住居跡の発掘作業を指導してくださり、また、母校での教育実習の指導をしてくださったN先生から連絡が入りました。『八王子に教育研究所があって、私の昔の同僚が事務局長や課長をしているので、働いてみませんか?』との誘いでした。卒業を前に何も決まっていませんでしたので、履歴書を持ってその研究所に行ってみました。面接を受けましたら、即採用してくれたのです。M先生の紹介があったからでした。 

  その研究所長を、早稲田大学の学科長が兼務されておられ、ことの外、この所長が私に目をかけてくれたのです。この方の弟子で、早稲田で講座を持ち、都内の短期大学で教務部長をされている先生(研究所の研究員でもありました)の口利きで、この短大の付属高校の教員にと招いてくださいました。それで研究所で3年勤務した後、その学校で働き始めたのです。三流大学卒の私でも、そういった人脈に恵まれますと、将来は大学の教壇に立つことができるようなレールが敷かれたのです。そのレールに乗るために、「論文」を書くように勧められ、その準備にとりかかった頃に、熊本で働いていたアメリカ人実業家を訪ねました。その訪問時に、『一緒に働きませんか!』と招かれたのです。《安全な株》を手中にしていた私ですが、あの『若者は安全な株を買ってはならぬ!』という《座右の銘》を思い出しました。この方が招いてくださった事業は、将来が見えないものでしたが、やり甲斐のある仕事、使命感を湧き上がらすものであったことは事実でした。それで、私は、二つ返事で了解を伝えたのです。

 その受け次いで三十数年従事した仕事を、他の方に委ねて、2006年の夏に、中国に渡りました。私の決断に賛同してくださった友人や先輩や家族から、その新しい歩みのための資金が寄せられたからです。今40年前の決心を思い返し、2006年の決断を想い、悔いがまったくないのです。私たちには、家もありませんし、寄せられた貯蓄もわずかですが、それでも《心は錦(そんなフレーズの流行歌が昔ありましたが)》なのです。中国に参り、天津で1年間語学勉強をしました後、華南の1つの街に導かれました。こちらに参りましたら、何の伝手(つて)もなったのですが、中国人の中に友人たちができ、彼らの紹介で、ある大学で日本語を教える仕事が与えられたのです。子どもというよりは孫の世代の学生のみなさんと一緒に学び合いながら、5年間で断念した教育者の道に再び立ち返り、キラキラした眼差しをぶつけてくる彼らに、こちらも真剣で応答させてもらっています。

  昨秋、家内が病み、地元の病院(戦前にイギリス海軍が持っていたものです)に入院し治療を受けました。退院後、中国漢方医の治療を受けましたが、私の授業と期末試験が終了しましたので、1月中旬に帰国し、東京で治療を継続してきました。2月になって、私の帰国日の翌日、家内の病気の再発、即入院、治療、手術ということになってしまったのです。14日のフライトを予約していましたが、『あなたの人間ドック(家内の病気で心配した子どもたちから、『どうしても検査を受けて!』と言われて、やむなく受けました)の検査結果が、2月15日ならないと出ない!』とのことで、ひと月中国に戻るのを延期していたのです。延期して検査結果が出ましたその晩に、家内が突然激痛に襲われ、救急入院をしましたから、人間ドックの検査のおかげで、再び激痛に見舞われた彼女のそばにいて看病することができた次第です。
  
 次男の家で術後の静養をして、日柄良くなってきている家内ですから、最終予約の4月20日の飛行機で、私は一先ず、中国に戻ることにしています。そんな今朝、読売新聞の「編集手帳(4月1日付)」を読みましたら、あの《座右の銘》は、異質の詩人、ジャン・コクトーが言った言葉だということを知ったのです。東日本の大震災、福島原発事故の復興や復旧事業に従事している自衛隊、警察、各自治体職員、NGOのみなさん、あらゆる分野からのボランティアをされているみなさん、東電職員、さらには諸外国から駆けつけてくださった救援隊等のみなさんが、《危険な株》を手にして奮闘しているのを見るにつけ、さらには年老いた母のことを思うにつけ、中国への帰巣には、後ろ髪が引かれますが、これも導きかと思うのであります。昨晩も、強烈な余震が、次男のマンションを揺り動かし、『お父さん早く出よう!』という次男の呼びかけに家を出ました。原発の汚染もあり、『うーん?!』、と戻るのに迷うのですが、貧しく弱い者を、これまで導いてくださった《牽引の糸》を感じていますので、この糸に身と心を任せることにしましょう。最善がなることを信じて!

(写真は、http://nicovip2ch.blog44.fc2.com/blog-entry-2230.html所収の「自衛隊支援」です)

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