ユダヤに、次のような格言があります。
若者を、その行く道にふさわしく教育せよ。
そうすれば、年老いても、それから離れない。
子どもの頃に、よく言い聞かされたのは、『三つ子の魂百まで!』というのがありましたが、似ているでしょうか。英語圏のことわざで、日本語訳されたものに、『鉄は熱いうちに打て!』があリます。これらは、若く純粋で、柔軟性のある日々に習得したものは、一生モノだということになるでしょうか。
ルーマニアにチャウセスクという大統領がいました。1989年12月でしたが、彼の最後を写した映像を、テレビ番組で観た時に、とても大きなショックを受けたのを覚えています。夫人と共に、民主運動の中で、公開処刑されて、その亡きがらが映されていたからです。ずいぶんと生臭い報道に驚いたのです。なぜ彼の話なのかといいますと、彼を警護する《衛士》のことを聞いて、『そうだったのか!』と、思ったからです。ガードマンとか秘密警察とか言ったほうがいいかも知れませんが、彼らの多くが、「孤児」だったそうです。親の愛を知らない幼い彼らを、自分の手元において、忠誠を捧げつくす集団を作ったのです。独裁者の彼が、身の危険から自らを守るために考えだしたシステムでした。肉親からの愛を知らない彼らを、父や母のように、とことん愛したのです。肉親の愛に飢え渇いていた彼らは、愛してくれる「父」のために、いのちを投げ出して仕えたのです。
こういった組織を作り出す智恵というのは、独裁者が独特に考えだすもののようです。自分に決して危害を及ぼしたり、謀反を起こすことのないもの者たちこそ、最高の《砦》になるからです。これもまた教育といえるのではないでしょうか。一人のエゴのために、人の一生を変形させてしまうという、極めて悪い教育実践例なのです。
この格言ですが、「教育」の効果というのは、「年老いて」からあらわされるることだといっているのです。私の小学校時代の教師に、男性教師が二人いました。Nせんせいはは、音楽教師で、蝶ネクタイをしていましたから、当時としてはダンディーだったのです。仕事を終えると、この先生は、酒屋をやっていいる級友の店に寄って、コップ酒を飲むのが常でした。どのような経緯か、子どもの私にはわかりませんでしたが、良い印象がありませんでした。ある日、授業が終わって、掃除の時間に、叩きを持っていた先生が、理由を説明しないで、私を叩いたのです。理由がわかっていたら当然叩かれてもいいのですが、その時は目を剥いて何度も叩いたのです。これが未だに腑に落ちないのです。殴られ受け意見というのは、よくありましたから、他のすべては十二分に納得していましたが、これは例外でした。《どうしてでしたか?》と、あって聞こうと思いましたが、その機会はありませんでした。母くらいの年齢でしたから、もう亡くなっておいででしょう。
こういった経験は、自分のうちで解決しないと、一生引きずるのかも知れません。N先生も、「戦争」という異常事態を越えてきたのでしょう。『戦地で異常体験をし、精神的に不安定になって復員して、教職に戻ったのだろう。だから、あんなによく短気を爆発したんだ!』と、勝手に理解することにして、恨みを解消しましたから、キズは癒えてると思うのです。相手の謝罪は不要です。私は教師から良い影響を受け、ある教師から、こういった経験をし、自分も教師をし、きっと悪い影響だって与えているかも知れません。自分のN先生と同じで短気だったからです。今は、少し良くなっているかどうかは、、家内に聞いてみないと・・・・。人の行く道には、「ふさわしい道」があるのですね、その道を踏み行くために、《健全な教育》がなされるようにと願う、夏休み前であります。
(写真は、岡山県備前市にある世界最古の庶民の「学校」です)