長野県の伊那谷の大鹿村で、伝統的な田舎歌舞伎が、春と秋の年二回上演されていて、その年の秋に、「菅原伝授手習鑑」という演目が村の公民館で上演されていました。歌舞伎には、とんと関心のなかった私は、歌舞伎座の前をなんども行き来しながらも、入ることも観ることがありませんでした。
ところが、飯田に住んでいた娘の勧めで、初めて観劇したのです。もちろん、主君の忘れ形見の助命のために、自分の息子の首を代わって差し出すという親の「忠義」には驚かされましたし、その親の気持を察した息子も、自らの首を捧げて父親へ示した「従順」には感銘してしまいました。「生贄の美化」や「命の軽視」には、納得できない不条理さを感じますが、ああいった心情・気概が日本人の血の中に流れていると思うと、身の引き締まる慄然とした思いを禁じえません。
あの場面で印象的だったのは、書道をする子どもたちの「寺子屋」でした。道真の時代に「寺子屋」はなかったのですが、歌舞伎や浄瑠璃で取り上げるに当たって、江戸期に生まれてくる「寺子屋」を場面設定したのでしょうか。この演目が上演され、好評を博したのが1740年代の江戸中期でしたから、芝居上の仮相設定だったに違いありません。
この寺子屋といえば、18世紀には、日本全国に15000もあったと推定されています。読み書き算盤を、庶民・町人の子弟に学ばせていたことになります。庶民教育のこの形態は、世界に類を見ないほどのことであり、『当時の《識字率》は50%程だったろう!』と言われていますから、驚きです。
当時日本を訪れた欧米からの外国人が、『日本人はみな読み書きが出来る!』と報告しているようです。ユネスコが世界の識字率を調べた報告書を出していますが(2002年)、日本は99.8%(男女同率)、中国は90.9(男95.1、女86.5)、バングラデッシュは41.4%(男50.3%。女31.3%)でした。しかし後進国の教育熱は、昨今、ものすごい勢いで高められていますから、まもなく日本の水準に近づいてくるのではないでしょうか。
私たちは、明治以降の学校制度の中で、欧米諸国への遅れを、欧米に真似ることによって、やっと取り戻していくように教えられたのですが、どうしてどうして、すでに封建時代の只中で、一般民衆の教育水準は世界でも群を抜いていたのだということが分かります。鎖国という閉鎖状態の中で、高度な教育や文化が育まれていたことを再認識して、私たちは、『我々は駄目だ。失敗の過去を持っているのだから。』と言った卑屈さの中から立ち上がり、《自信》を取り戻したいものです。
少なくとも、現代を生きる子どもたちに、この《自信》と《誇り》を取り戻してあげたい思いがするのです。《誇り》や《自信》を取り戻すことが、軍国主義への回帰だなどとは決してなりえないのですから。自分が生まれた国を、《過小評価》した教育を受けて、いつもうな垂れている日本人を創り上げてきましたから、今、私は日本の子どもたちの顎に手を当てて、『さあ、上を向いてご覧。今まで見えなかったものが見えてくるからさあ!』と語りたいのです。
健全に子が育つのは、『僕の生まれ育った家庭は、お粗末で、暗くて、失敗だらけなんだ!』とは決して言いません。『お父さんもお母さんも欠点があるけど、それを超えて一所懸命に僕たちを育て養ってきてくれたではありませんか!』と思わなければなりません。
国も同じです。過去に間違いや欠点や罪が、私たちの国に多くありました。今日、9月18日は「柳条湖事件」が起きた79年目の記念日です。『外出を控えたほうがいいでしょう!』と友人からメールがありました。確かに愛する隣国を蹂躙した記念日です。歴史の事実の前に立って、『二度とすまい!』と反省し、発念する日こそ、今日だと思います。でも首をうな垂れて、自己否定をするだけでは、ことは前進していきません。
そういった過去が、私たちの国の歴史の中にありながらも、好いことを育んでくれた国であることも、片一方の事実なのですから、ここにも光を当てたいのです。こう思うことを、中国のみなさんは否定されないはずです。過去をごまかすことなく,しっかりと顔を上げて、自信と誇りを持って、アジア諸国の青年たちと、互いに認め合い、協力し合って21世紀を生きていって欲しいのです。だから、家内と私は、愛される日本人に成るべく、この国で生活することを選んだのであります。
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