7年ぶりにテニスを!!!

五年前の雛祭りの頃だったでしょうか、まだ朝が明けやらぬ内に家を出た私は,自転車を道路の縁石にぶつけて、しこたまアスファルトに叩きつけられてしまいました(幸い道路側ではなく歩道側に投げ出され、向こうからスピードを上げて来た車に轢かれずにすみました)。全身を打ったのですが,右腕に激痛が走りました。それでも自転車をこいで目的地に行ったのですが,痛くて仕方がありませんで、踵を返して帰宅したのです。すると、家内と家にいた長女が,『お医者さんに診てもらったほうがいいよ!』と言うことで、駅前の病院の外科に、娘の付き添い(運転)で診察に行ったのです。怪我ばかりしてきた私は,ほとんどの痛さには耐えられる自信がありましたが,この肩の痛さは尋常ではありませんでした。この初診の医者は、『打撲!』と診断し、三角巾で肩をつってくれ、湿布薬を処方してくれただけでした。

痛みはほとんど感じなくなって数日がたった再診の日,その医者が『一応、MR検査をしてみましょう!』と言って見た映像に,腱板が断裂しているのを発見したのです。この腱板断裂を見抜けなかった彼の手に負えなくて,この手術の専門医が市立病院にいるということで,彼が紹介状を書いてくれました。それを持って診察に行きましたら,早速,入院手術ということになったのです。入院しましたら、家内が英語を教えていた子どものお母さんが、その病棟の看護師でした。手術の前の晩に、『先日、手術の痛さに耐えられなくて、飛び降り自殺をした人がいたほどです。覚悟して、手術に臨んでくださいね!』と、わざわざ言ってくれたのです。安請け合いの『大丈夫!』でなかったのが、かえって良かったと思います。私は、手術前夜、覚悟を決められたからです。

その手術は成功したのですが、縫合した箇所を守るために、右腕を『はい!』と言って上げた状態で、ベッドに固定されて2日間動くことができなかったのです。『拷問台ってこんななのかな?』と思うほどの苦痛でした。娘が撮ってくれた写真に、激痛に顔が歪んだものが残っています。その固定を外された時の喜びは、『きっと捕虜収容所から開放されたときに感じる喜びってこんななのかな?』と思うほどの開放感がしました。ところが、アメリカンフットボールのプロテクターのようなものを体に装着されてしまい、これまた腕を上げた状態で固定されてしまったのです。歩けますが、利き手は使えず、先生の前で『はい!』をしたままの、あの有様でした。徐々に腕は低くされて行くのですが、退院しても、この状態は続きました。運転できませんから、バスに乗ると、好奇の目が向けられ、ちょっとしたスター気分でした(!?)。防具を外されて、風呂に入れるようになった時も、今まで感じたことのない開放感を味わったのです。でも腕が肘で曲がらないのです。その後、4ヶ月ほどリハビリが続きましたが、時々、『元のようにテニスが出来るようになれるかな?』という思いが浮かんでは消えていきました。

あれから5年半ほどが経ちました昨日、テニスをしたのです。怪我以前の2~3年は、家でラケットを時々握るだけでしたから、7~8年ぶりになるでしょうか。ラケットが振れて、球を打ち返すことができたことは、なんともいえない喜びでした。『二度とテニスはできないよなあ!』と諦めていたのですから、誘われてコートに立って球を打ったときは、くくりつけられたベッドから起きたとき、防具が外されたときに感じた喜びを思い出させてくれました。

下手の横好きのテニスですが、健康管理を考え、今のところ、どこも体が悪くないので、『続けたい!』と思わされた土曜日の夕方でした。『コート代は10元で!』という経費でしたから、日本円150円ほどでしょうか。わずかの費用で、太陽が照りつける灼熱のコートにいるのも忘れさせてくれ、久々に球を追うことができ、言い知れない満足感を覚えることができました。『健康ってありがたい!』と感謝しながら、筋肉痛の足腰を摩っている日曜日の午後であります.

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