誕生日の朝顔

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今朝も、ベランダの柵の外で、朝顔が開いています。その隣に、金木犀が植えられていて、今朝は、曇っているからでしょうか、昨日の様な甘い香りがして伊豆、ほのかに香っています。先ほど、長女の主人に、"FaceTime"で、『誕生日おめでとう!』と祝福することができました。東部時間では、12月4日は明日ですが、北京時間で、そうしました。婿殿は、喜んでくれました。今年は、家族が一人増えたので、大変嬉しい年になりました。
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デザート

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この上の写真は、「シログアイ(ある地域で正月料理に使われる"クアイ"とは違います)」とか「水栗」と言われて、九州や南西諸島でも栽培されているそうです。「馬蹄(ばてい)」に似た栗ほどの大きさをしています。私たちに住んでいる街では、この時期になると、道端でカゴに入れて、量り売りで売っているのです。よく皮剥き器で薄皮を剥きながら、それを売っていいます。ほのかに甘く、梨の様な食感で、水分も結構あります。

この下の写真は、「马蹄糕matigan」と呼ばれている、食後の甘味の"デザート"で、この「水栗(马蹄)」を粉末にした澱粉質で作った、「羊羹」に似たもの(食感はゼリーの様)です。時々、いろいろな形にしたものが、中華料理に出てきます。美味しいのです。
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もう一輪

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昼前に、出先から外に出ましたら、真っ青な空が広がっていました。家に帰って、ベランダの外に伸びた蔓に、もう一輪に朝顔が咲いているのを発見したのです。それを、午後5時前に、撮ってみたのが、この写真です。子どもの声が賑やかに聞こえてきます。入り口に広場があって、そこで遊んでいる声です。何処かで、ちょっと調子外れのカラオケで歌う声もしてます。日曜日の夕方の様子です。

「冬至」に向かって、日が短くなっていく大詰めなのですが、まだ明るいのは、今日は、久し振りに晴れたからでしょうか。いつもより暖かです。入り口に中型のトラックに、リンゴの入ったダンボールを満載して停めてあります。そこで、産地直送の直売会をしているようです。金木犀に植え込みから、甘い匂いもしてきています。穏やかな日曜日の夕刻の様子です。
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大好き

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高校の国語で、「古文」を学びました。あの文語体の文章の歯切れの良さが、大好きだったのです。話し言葉には、何か余計なものがあるのとは違って、実に簡潔だったからです。多分、子どもの頃に「時代劇」で、月形龍之介とか市川右太衛門とかの台詞を聞いらからでしょうか。「あなた」を、『おぬし』と言ったりしてました。一度、そう言ってみたくて仕方なかったのを思い出します。

それに、「漢文」も好きでした。杜甫や李白の詩を、<返点の"レ">などを付けて、日本語にして読んでしまうところが面白く、これも簡潔で大好きでした。先日お邪魔した家に、「小一xiaoyi」の男の子がいて、テーブルの上に、「漢詩」の国語の教科書が載っていました。小学校一年生で、漢字だけの「国破れて山河あり」を読めるのです。日本の小学校一年では、「80字」に制限されていますから、学習漢字数は、中日では<雲泥の差>がある様です。

その「古文」で、「徒然草」を学んだのですが、全編ではなく、「大学入学試験」に出そうな箇所だけを学んだに過ぎませんでした。その「徒然草」に、次のような事が書かれてあります。『酒は百薬の長というが、全ての病気は酒から起きている。知恵を失わせ、善行を火のように焼き尽くし、悪を増し、戒律を破って地獄に落ちるに違いない。(現代文に翻訳)』とです。吉田兼好の時代にも、「酒害」が多くあったのですね。

私の愛読書の「格言集」に、「強い酒は滅びようとしている者に与え、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えよ。」とあります。「葡萄酒」には、心に痛みがある人の「痛み」を、一時的に和らがせ、忘れさせる効用があるのです。私は、25才の時に、お酒をキッパリとやめました。「好い酒」ではありませんでしたし、もう「酒」の力を借りないで、素面(しらふ)で生きていられる様になれたからだと思います。

あのまま半世紀も、酒を飲み続けていたら、家内の言葉によると、すでに生きてはいないかも知れません。ビールを2、3瓶、毎日飲んでいて、単純計算しますと[3瓶×365日×50年]、すごい瓶数、酒量、そして金額になる様です。弟に聞いた話ですが、『頭が酒でクラっとするたびに、脳細胞が驚く数で死んでいく!』のだそうです。

(杜甫が書いたとされる「書」です)
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師走の朝顔

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おはようございます。「師走(しわす)」の「朔日(ついたち)」、12月1日です。午前7時のベランダの寒暖計は17℃を示しています。室内の方が寒い感じがしています。「时间过了很快shijianguolehenkuai/時間って早く過ぎゆきます」ですね。

2017年も暮れゆくのですね。もう秋ではなく冬なのですが、Tシャツでいることもあるほどです。最近、カラッと晴れないのです。

「最後の朝顔」になるかも知れません。今朝、ベランダの流しの下で、小さな花を開いてくれました。

前に住んでいた家で咲いていた朝顔は、年を越しても咲いていたのですが、日射量が、ここよりも多かったからでしょう。家の南側には、向こうのビルとの間が広く離れていたので、燦々と陽が射していたのです。でもここは、緑が多くて、気が落ち着きます。

好い年末、好い1日をお過ごしくだだい。
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黄昏

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いつのことでしたか、壁に寄り掛かって、何を考えるでもなく、遠くに視線を送っていましたら、『何をタソガレているんですか?』と、あるご婦人から話しかけられたことがありました。夕方ではなく、昼過ぎだったでしょうか、「黄昏れる」という言葉を初めて聞いたのです。物思いに耽っている様に、あるいは放心している様に見えたのでしょうか。また、人生の「黄昏期」に差し掛かって、初老を感じさせていたからかも知れません。『あまり、活動的に見えないよ!元気を出して!』とでも言いたかったのかも知れません。

「黄昏」は、「誰(た)そ彼」と言う古語から生まれた言葉で、夕闇で誰れだか分からないので、そう問い掛けて言ったのだそうです。それを、漢字で、そう表記する様になったのです。私が、<漢字検索>で使う「漢典」という中国語サイトには、「◎ 黄昏 huánghūn[evenfall;dusk]∶日落以后至天还没有完全黑的这段时间」とありました。日没後、まだ空が暗くなる前の時間帯のことを言う様です。唐の時代、李商隱が詠んだ「樂遊原詩」に、「夕陽無限好,只是近黃昏。」とありますし、「三國演義」にも、「時至黃昏,風雨暴至,兩下各自收軍。」とありますので、ずいぶん昔からある言葉だとい言うわけです。

夕方を、「燈点し頃」と言ったりしますが、冬にはもう真っ暗な時間帯なのに、さすが夏至の今頃は、まだ外が明るいのです。アメリカの西海岸のオレゴンを訪ねた時に、夜の9時、10時になっても、まだ空が明るかったのには驚かされてしまいました。その時、『「白夜」とは、こう言った感じなんだろうか?』と、感じ入ってしまいました。

日本には、「◯◯百選」と言われるものが多くあるのですが、「夕日百選」と呼ばれるものがあります。私の母の故郷、島根県の宍道湖(しんじこ)に、「島根県立美術館(写真)」があって、その湖に沈んでいく夕陽の景観が素晴らしいのだそうです。全面ガラス張りの建物から、その夕日が眺められるる様な作りになっています。3〜9月までは、閉館時間が、日没30分後にされていて、参観者が夕日を見られる様に配慮されているのです。

今春、入院手術のために帰国中、こちらに戻る前の一週間、弟の家に泊めてもらったのです。彼との話しの中で、今度、私が帰国したら、母の故郷に、母の親しい知人を、兄弟で訪ねる計画が提案されたのです。みんな人生の「黄昏期」に入って、時間を工面できますので、表敬訪問したついでに、宍道湖の「シジミ」の味噌汁を飲むことができそうです。できたら、この美術館で夕日を眺めて見たいものです。
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オカッパ

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中国の街に住み始めてから、街の風景が大きく変わってきています。その一つは、道路が整備されてきたことです。信号機が設置され、道路の幅員が広げられ、中央に分離帯ができ、歩道には、点字マークも入れられてきました。ただ、歩道に電気自転車が、結構速度が速く通り抜け、時々、乗用車が走ったりしているのには、迷惑されているのです。それと、信号の待ち時間が長いことです。なかなか青信号に変わらないのは、忍耐の学習です。

その他には、「幼稚園」が、たくさん増えたことです。「小区」ができると、新居を購入して住む若い方の所帯に、子どももが与えられて、その子育てを助ける意味で、ほとんどの小区の正門の脇で、開園しています。前に住んでいた小区の幼稚園は、300人もの園児がいて、大賑わいでした。毎朝、軍服を着た四人ほどの上級生でしょうか、国旗をかざして入場し、掲揚のポールに掲げて、朝礼をしています。

やはり「愛国教育」を、幼い日から施しているのです。先生たちから号令がかかり、統率のとれた行進をしていて、"小軍隊"の様にも感じられます。そこでは、よく先生たちが入れ替わっていました。院長が厳しいからでしょうか、傍目に”ピリピリ感”が伝わってきていたのです。幼児教育は、一番難しい教育ですので、しっかりと明確な使命感を持たないと、続かないのも一つの原因かも知れません。

九月の入園の時期には、園内から鳴き声が聞こえ、登園時に、尻込みをして親に、『帰りたいよう!』と泣いたり、渋ったりしている子がいて、送って来たお父さんやお母さんやおばあちゃんを困らせている光景を、よく目にしました。どこの国でも見られる光景でしょうか。わが家の子は、まだ就園してないのに、留守の間に帽子やバッグをつけたりし、兄や姉にくっついて行こうとして止めるのが大変でした。

こちらの登園や帰宅の際の光景が、こちらでは独特なのです。おじいちゃんやおばあちゃんが、孫のカバンを背負って手を引いているのです。これは小学生でも同じで、重いカバンを、ずしりと感じさせるのも、学習が厳しいものであるということ、忍耐力や自立心を養い育て、お教える機会なのに、それを奪ってしまっているのです。

『孫に重いものを持たせて、なんという爺婆だ!』と言われたくない心理もありそうです。何でもやってもらえる依頼心の強い子どもが出来上がってしまったら、後が大変ですね。ほとんどの子どもは、二人の両親と四人の爺婆を背後にした《王子様(こちらでは"小皇帝"》になってしまいます。

これって、山の中で育って、幼稚園に行かせてもらえなかった私の<やっかみ>かも知れませんね。ただ、こちらの子どもたちが、愛情深く育っていることは確かです。でも、この間、結婚式に行って会った、一人の幼児は、"オカッパ"頭の「ちびまる子」みたいで、随分昔の小学校時代の同級生を思い出してしまいました。みんなテレビに出てくる子役の様に、ブランド品を身につけて都会的になっている中で、郷愁を感じさせられて、何となく"ホット"させられたのです。
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住んでみたい街

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最近の街中の様子ですが、老朽化した集合住宅が、あちらこちらで取り壊されているのです。煉瓦造りの家が、6、7階の集合住宅に建て替えられ、今やその立て替えたものが、きっと修理箇所が増えたりしてきたのでしょう、それで、高層の集合住宅があちこちに建ち始めていて、ふたたび工事ラッシュが見られます。

しばらく行かなかった地域が更地にされていて、重機が入って、基礎づくりをしているのです。昨晩、この街の商業の中心地に行ってきました。そこは、水運を利用して、物資の集積地で、情報交換の場でもあったようです。近隣の街や村との間で、物流をしてきた、古代からの商業地域なのです。そこにある御宅に、食事に招かれて行ってきました。

17階のベランダからは、遠い向こうの周辺地域に、高層の住宅やオフイスビルが建ち並んでいるのが見えます。でも足下に広がって見える低層の住宅群があって、やがて取り壊されて、建て替えられる計画があると言っておられました。やはり個人が、相当な資金を持っていて、政府から土地を長期にわたる借款料を払って、借りるのか買うのかして、集合住宅の建設事業を展開しているのです。

建設するにあたって、1、2階は「商店」や、最近では「文化教室」や「予備校(塾)」にして、入居者の利用を見込んでいるのです。それに伴う道路の拡幅工事も進み、街全体に開発事業が盛況です。農地の転用が盛んで、瞬く間に商業施設(shopping mall)ができ、ホテルやスーパーマーケットや遊戯施設が出来上がってきて、めまぐるしいほどです。

外資が投入されるのでしょうか、私たちが引っ越してきた「小区」は、30棟ほどがあって、そう言った「小区」が周りに、十数個もある、一大住宅地になっている地域です。聞くところによりますと、これらは、マレーシア在住の華僑の方の事業なのだそうです。隣の高級別荘地の中に、この方が家を持っていて、来華の折の住宅とされているようです。

こちらに来ましてからの12年間の変化と発展は、驚くほどのものがあります。自動車が増え、それに伴う道路の拡幅整備、そう言えば旧市街と新開発地域との間に流れる、多分、日本でいう一級河川は、最近、水質が良くなって、流れの底が、浅瀬では見えるようになってきています。かつては異臭がし、浮遊物も多くて、流れに足をつけることなどできなかったのです。環境整備も進んでいる昨今です。

緑も多く、それで空気もきれいで、上水道の水質も、中国では飛び抜けてきれいだとの調査結果が出ています。日本でも、「住みやすい街」、「住みたい街」が毎年選ばれているようですが、私たちに住んでいる街は、「住んでみたい街」のトップクラスに違いありません。

ターキー

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11月23日は「勤労感謝の日」、アメリカでは"サンクス・ギビング・ディ"でした。この日は、私に様々なことを教えてくださったアメリカ人起業家で恩師の誕生日でした。お元気だったら、今年、82歳になっておられたのですが、お病気で召されました。この方が、"ターキー(七面鳥)"をグリルにしたのが好物でした。きっと、お母さまが、息子に誕生と祝日の祝いにために、毎年、手料理をして、この"ターキー"を食卓に載せた味だったのでしょう。

この祝日に、長女が"ターキー"をグリルして、婿殿と、招いた友人のために料理をし、食事会を持ったそうで、その時の写真を送ってくれました。立派な食卓ですね。私も、恩師から分けていただいたりして、好きなのです。いつでしたか冷凍の"ターキー"の肉を買ったのはよかったのですが、グリルがなくて、結局、どなたかに上げてしまったことがありました。

いつか、お腹いっぱいに食べて見たいものです。垂涎(すいえん)したままで、その時を待とうと思っています。晩秋の味覚の一つなのでしょう。働いておいでのみなさん、そして働き終えたみなさん、ご苦労様でした。
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