港街

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先週の土曜日、この街と台湾を結ぶ航路の港街に行ってきました。中国語では「码头matou」と言いますが、「波止場」と言うのが一番でしょうか。何度も訪ねたことがありますが、海峡を挟んで航路が再開した後は、まだ港がどこにあるのかが分らずにいました。それで、いつか台湾に船で行くことがあることを考えて、下調べに行ったのです。バスの発着場所、発車時間、所用時間などを調べました。小一時間ほどの公共バスでしたが、一停留所区間も、35ほどの停留所を経て終点までも、同じ<一元>で、日本円で16円程でした。この料金は、この8年も変わりません。公共料金が安いのが、この国の特徴でしょうか。

安いと言えば、お米も安いのです。生活必需品は、安く抑えられていて、パンなどは、日本並みの値段ですから、社会の弱者への優しい配慮があるのでしょう。さて、そこは、かつての軍港で、フランスとの間で海戦が行われたと言う歴史的な街です。前回行った時には、「海軍記念館」に入って見ました。日本の海軍との交流もあったようで、日本海軍の将官の写っている写真も展示されてありました。

イギリス海軍に倣っているそうですので、街中にイギリス風の建物が残っているかと思って、キョロキョロして見回しましたが、バス通りの主要道路からは、何も見つけることができませんでした。30階もあるアパート群が立ち並んだ箇所もあり、おおきな造船所があり、また水産卸会社が並ぶ所もあり、なかなか活気に溢れていました。お国柄でしょうか、取引のための「競(せり)」は行われていないようで、どのように海産物が捌かれるのかと思ってしまいました。何時か聞いてみたいものです。いわば近隣の「台所」と言った所なのでしょう。

そういえば、中国の海軍だけではなく、日本も、イギリスに倣ったと言われていました。私のひいじいさんは、技官将校として、イギリスに留学をしたと、父に聞いたことがありました。どんな人だったのでしょうか。この方があって父がおり、私があるわけです。何時も思うのですが、山の中で生まれたのに、海が恋しい気持ちが強烈にあると言うのは、こう言った背景があるからなのでしょうか。二つ違いの弟も、同じ所で生まれていますので、そんな思いがあるか、今度会った時には聞いてみようと思っています。炎天下を訪ねた港街の乗船場は、船が出た後で、ガランとして誰もいませんでした。

(写真は、この港の夕焼け風景です➡︎百度より)

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